長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No.209「捕鯨史から学べる事」

生月学講座 捕鯨史から学べる事

 目下、12月20日にシンポジウム「古式捕鯨とは何か」を開催すべく準備を進めている所です。古式捕鯨とは、日本では戦国時代から明治30年代頃にかけての古式捕鯨業時代に行われた、比較的人力に頼って、主に沿岸に来る鯨を捕獲した捕鯨の事で、代表的な漁法に突取法や網掛突取法があります。この時代には遠隔地に生産品を販売する目的で行う捕鯨(商業捕鯨)を実施する「捕鯨業」が成立していましたが、古式捕鯨業で日本最大規模を誇ったのが生月島に本拠を置く益冨組でした。今回のシンポでは、国内で古式捕鯨を研究している第一線の研究者に集まっていただき、さまざまな地域や分野から古式捕鯨を多角的に紹介しようと考えています。
  今回、古式捕鯨をテーマに据えたシンポを企画したのには、勿論、益冨組に代表されるように平戸市や生月島が古式捕鯨と密接な関わりがあったからですが、もう一つには、昨年(令和元年)夏から日本近海で商業捕鯨が再開された事があります。ただ現在行われているのは古式捕鯨の漁法ではなく、明治30年代以降日本で普及したノルウェー式砲殺法です。この漁法は名前が示す通りヨーロッパのノルウェーで発明された、銛を打ち込む大砲と動力船を合理的に組み合わせたものです。近代捕鯨業では同漁法による商業捕鯨が列島沿岸や北西太平洋、南極海で盛んに行われたましたが、昭和63年(1988)には国際捕鯨委員会(IWC)の商業捕鯨中止(モラトリアム)の決定に従い、日本沿岸の一部鯨種を除く殆どの商業捕鯨が中止されています。その後日本は南極海や北西太平洋で鯨の資源量を確認する事を目的とした調査捕鯨に取り組み、より確実な資源推定量から持続的に捕獲可能な頭数を導き出す事で、鯨の生息に負荷が掛からない形の管理捕鯨の実現を目指しましたが、IWCでは反捕鯨国の反対で実現できませんでした。そのため日本は国際捕鯨取締条約を脱退し、IWCの影響下から出る事で日本近海での管理捕鯨の実施を目指す事になったのです。
 問題は、再開した日本の商業捕鯨はモラトリアム以前の近代捕鯨の単純な延長ではなく、管理捕鯨という新たなスタンスによるものであるという事を、厳格な管理の運用の実施によって示す必要がある事です。日本に限らず近代捕鯨業の問題は、高い捕獲技術を資本主義の論理に従って無制限に運用した事にあり、そこには地球という限定された空間における環境の有限性という意識が欠落していました。この問題は欧米の古式捕鯨業において既に顕在化していたのですが、近代捕鯨業のノルウェー式砲殺法という高い技術の導入によってさらに加速する事になったのです。
  日本の古式捕鯨業は、結果的に300年にわたって持続的な捕鯨を継続していますが、それはなにより人力頼みのローテクの制約によって成った部分がありました。また江戸時代には藩という小さな範囲に区分されていた事から、より資源の制約が意識されていた部分もあるように思います。ただそういった消極的制約因子に加え、当時の日本の鯨取り達が環境の有限性を認識しながら捕鯨業を経営していたのかも、今回のシンポを契機に様々な分野の研究者と一緒に考えていければと思います。
 




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