長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:キリシタン墓の副葬品

生月学講座:キリシタン墓の副葬品

  16~17世紀のキリシタン信者は、亡くなると遺体を横たえる形(伸展位)で長方形の棺に納めて埋葬した事を前回お話ししましたが、今回はその墓に納めた副葬品についてお話ししたいと思います。東京の八重洲北口墓地遺跡で見つかったキリシタンの棺(1404号墓)からはメダイ(メダル)とロザリオの玉49個が確認され、大阪府高槻城下のキリシタン墓地の棺(10号)からは玉を組み合わせた十字架を持つコンタツ(ロザリオ)が見つかっています。メダイやコンタツはキリシタン信者が身に付けた信仰用具だったので、信者の死亡に際し、身につけていた信仰具を持たせて埋葬した事が想定されます。
  諫早市の千々石玄蕃充夫妻の墓で、千々石玄蕃充の妻の墓と推定された1号墓の棺からも、ガラス玉59個と楕円形にカットされたガラスの一部が出土していますが、玉はコンタツのもの、ガラス片は聖龕の部品の可能性があると考えられています。生月島山田の山田4垣内でかくれキリシタンの信仰対象となっていた聖龕(長径約7㌢)は、楕円形の金属容器の中に聖画が納められ、上に楕円形のガラスが付いていますが、有機物で作った聖龕もあったとされ、1号墓にはそうした聖龕にロザリオが付いたものが副葬されたと推測されています。これも妻が身に付けていたものだった可能性があります、
  大村城下では、大村藩家老の宇田家の墓から「無原罪の聖母」の楕円形プラケット(メダリオン)が見つかっています。プラケットは長径が10㌢程もある、メダイを大型化したような形の信仰用具で、生月島のかくれキリシタン信仰では、信心会(コンフラリア)由来の組である垣内・津元の信仰対象(御前様)として祀られていました。生月島では一集落に一つずつプラケットの存在が確認できる事から、プラケットはキリシタン時代に教会に祀られていた可能性があります。つまりプラケットはキリシタン信者が身に付けたものでは無かった事になります。そうだとすると、大村のプラケットは特別な理由で副葬された事が考えられますが、例えば、禁教でプラケットを祀ったり保持する事が危険になり、死者に持たせて処分した可能性や、プラケットが破損していた事から祭具として用いる必然性が失われたため、信者の死者に持たせた可能性などが考えられます。
  かくれキリシタン信者の多くは、木箱や桶に仏式の座位で遺体を納めていますが、生月島では、和紙を切って作った剣先十字架形のオマブリを遺体の耳や襟に入れていました。これは魔除けのためだと思われます。外海地方では樫山の神山に生えていたバスチャンの椿の木片を削って遺体に持たせました。これはキリシタン信仰期に十字架模様が浮き出た木を聖木として信仰した事に由来する習俗だと思われます。五島のかくれ信者には信仰具などを包んでいた布の糸を遺体に持たせる習俗がありました。このようにキリシタン・かくれキリシタン信仰では、棺に信仰に関係する品物を入れる習俗がありましたが、それらも遺体に持たせる形で副葬されています。
  千々石玄蕃充夫妻墓の2号墓(千々石玄蕃充(ミゲル)の墓)の棺の頭側空間には、棚に納めた木製十字架があった可能性があるとの報告がされていますが(長崎新聞、令和8年2月21日付)、既に述べたように、棺に棚を設ける形で十字架などの信仰具を設置したという例は、これまでのところキリシタン・かくれキリシタンの墓では確認されていません。
(2026年4月 中園成生)




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