長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:船首の形状

生月学講座:船首の形状

 壱部浦や舘浦の港を眺めていると、いろんな船を目にします。大きなクレーン船は長方形の船体で平坦な船首は水の抵抗が大きく、いかにもスピードが遅そうです。この船は係留してケーソンやテトラポットを水中に置く作業をする船なので、速度は必要ありません。しかし漁船や客船、貨物船などは人や物を運ぶ役目のため一定の速度が必要で、船首の抵抗が大きいと燃費がかかるので、船首はなるべく抵抗が少ない形状にしていました。
 原始時代、最初に用いたとされる筏は、組んだ木材の横広の前面が船首のため抵抗が大きく、速力は遅く、漕ぐのにも大きな力が必要でした。以前台湾から南西諸島伝いに日本列島に向かった人類の移動を立証するため、様々な材料や形状の船を使った実験航海が行われましたが、筏では強い黒潮の流れを横断する事は出来ませんでした。
 縄文時代に用いられるようになった単材刳船(丸木船)は、船首の抵抗を少なくするため木を削り、水平方向では船の中心線を先端に左右を均等に後退させ、垂直方向も上部を突出させ下に向かうにつれて後退する形にしていましたが、海面を左右に割って進む事ができるこの船首形状は、その後の船に受け継がれていきます。
 江戸時代に使われた、おもに櫓で進む鯨船やテントブネのような、板を組み合わせて造る構造船の小型和船や、同様の構造で帆走で進む大型の廻船では、上部を最先端とし下を斜めに後退させた棒状の部材「ミヨシ」で船首を構成しています。ミヨシは、鯨船やペーロン船のように下方を大きく後退させた(寝せた)形状の方が速度が出ますが、水面を割って安定して進むためには、下方の後退が少ない(立つ)形状の船首の方が有利です。またミヨシとカワラ(船底材)の繋ぎ目にきちんと角がある方が波切りが良いとされます。
 欧米で用いられた大型帆船も基本的には、上部と平面での中央を突出させ下部と左右を斜めに後退させた船首形状でした。19世紀後半に中国から茶を輸送するのに用いた「クリッパー」型の高速帆船は、海面上の船首上方が湾曲しながら前に突き出す優美な船首(クリッパーバウ)をしており、動力推進船登場後には多くの船がこの形状の船首を採用しています。現在の遠洋まき網の灯船もクリッパーバウですが、灯船は網張りの際に網の上を横切る際に、後述の球状船首では引っかかるという問題もありました。
 現在の遠洋まき網船団の本船や運搬船は、クリッパーバウを基本としながら、その水面下が前方に丸く突き出した独特の形状をしています。この船首形状を「球状船首(バルバス・バウ)」といいます。水面下の出っ張りは抵抗になりそうですが、出っ張りが作る波と水面の船首が作る波がぶつかると波が消えて抵抗が減るため、速度の向上や燃費の低減が見込まれたのです。この船首形状は1911年にアメリカで考案され、昭和16年(1941)に竣工した世界最大の戦艦「大和」も、速力向上のため球状船首を導入しています。戦後には日本で建造される大型船の殆どが球状船首を導入していますが、最近は、空荷で喫水が浅い場合などに十分な効果が得られない球状船首のデメリットが注目され、垂直方向は上下の直線で、水平面の形は尖った形状のアックス(斧状)バウなどが導入されるようになってきているようです。私も県の調査で五島の奈留島に渡る際に、福江港から五島旅客船の「TAIYO」というアックスバウの船に乗りましたが、高速のわりに揺れが少ない、とても快適な船旅でした。
(2026年6月、中園成生)




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