生月学講座:『生月のキリシタン』成立の背景
- 2026/08/27 11:57
- カテゴリー:生月学講座
生月学講座:『生月のキリシタン』成立の背景
今年(令和8年)の3月、髙山みな子さんとご家族の皆さんが、みな子さんのお母様である京子さんの父親・松本仁之作さんの足跡を辿るため、島の館を訪問されました。仁之作さんは、生月島のカトリック(キリシタン)の歴史を紹介した『生月のキリシタン』(昭和6年刊行)を書かれた方です。
『生月のキリシタン』には、戦国時代の平戸地方へのカトリック(キリシタン)の伝来に始まり、江戸時代初期に起きた弾圧や、明治時代初期のカトリックの再布教の状況、再布教に応じない人々によって継承されたかくれキリシタン信仰の内容などが紹介されています。特に再布教に際して生月島のかくれキリシタン信者がどのような対応をしたかが詳細に記されていて、生月島のキリシタン史を知る上で貴重な資料となっています。
『生月のキリシタン』の序言によると、松本仁之作さんは明治27年(1894)2月15日に平戸市宝亀のカトリック信者の家に生まれています。京子さんのお話では青年期には北海道の神父を養成する施設に入られていましたが、神父にはならず、カオノさんと結婚されて神父さんのお世話をする仕事に就いています。昭和3年(1928)には山田教会に赴任するフランス人のプルトー神父に従い、家族で生月島に移り住んでいます。昭和初期にかくれキリシタン信仰の研究をしていた田北耕也氏が、昭和6年(1931)に山田教会の正面で撮影した集合写真には、プルトー神父と共に仁之作さんの御家族が写っている事が、京子さんの確認によって分かりました。
『生月のキリシタン』序言には、「ビュルトー(プルトー)神父 生月に赴任せらるヽに及び、此地のキリシタンが未だ大部分復活しないで居るのを悲しみ、何とかしてキリスト教の真味を味はせ度いと、日夜祈つてゐられた。私が舊キリシタンに興味を持つ所から、平素色々調べてゐたが、神父様の右の祈りは、遂に私をして五六百枚の原稿を書かせることになつた。」と執筆の動機が綴られています。今回の訪問で髙山さんは、仁之作さんが書かれた分厚い原稿を持参されましたが、それにはキリスト教の歴史(聖書の物語や布教史)が記されていました。一方島の館には、田北耕也氏の御子孫から島の館に寄贈された資料の中に『生月のキリシタン』の校正原稿があり、今回、両方の原稿を突き合わせたところ、一続きの原稿である事がページ番号から確認できました。つまり両方を合わせた原稿が、仁之作さんが執筆された原稿の総体である事が分かったのです。『生月のキリシタン』序言には「私共が生月へ来る以前から、舊キリシタンの諸部落を巡歴して、詳しい研究をして居られる文学士田北耕也氏にめぐり合ひ其助力を乞ふて、拙稿のうち生月の部分のみを世に出す事となつたのである。」と書かれていますが、その記述の内容が原稿の状況からも確認できたのです。京子さんからも、仁之作さんが田北氏から「あなたは聖書のことを書けばいい」と言われたと話されていた事を覚えておられました。
『生月のキリシタン』は昭和6年(1931)に長崎のカトリック書店から刊行されましたが、昭和7年(1832)にはプルトー神父の東京転任に従って仁之作さんと家族は生月島を離れています。同書は、福岡県大刀洗町今村のカトリック集落に居住されていた仁之作さんの次女・平田シヅカさんの御尽力で再刊されています。
(2026年9月 中園成生)









