■450年間、厳しい弾圧にも耐え抜き受け継がれた信仰の奇跡
天文18年(1549)カトリックの宣教師ザビエルが鹿児島に上陸し、日本での布教を始め、翌年平戸を訪れます。平戸藩主・松浦隆信は、ポルトガル貿易に対する期待もあり布教を許します。特に生月島では領主籠手田氏・一部氏が入信し、領民の多くも信者(キリシタン)になりました。
しかしその後平戸藩主は禁教に転じ、慶長4年(1599)の籠手田・一部両氏の退去以降、ガスパル西玄可の殉教、中江ノ島の殉教などの殉教が相次ぎますが、信仰者達は密かに信仰を続けていきました。
明治に入り、キリシタンの禁制は解除され、カトリックの再布教が始まり生月にも教会が建てられますが、多くの島民は潜伏時代の信仰形態をそのまま継承したかくれキリシタンとして、今日に至っています。
生月島のかくれキリシタンは、16~17世紀の祈りの言葉であるオラショを唱えるなど、キリシタン時代に信仰の組で行われた信仰形態を良く残しており、研究者に注目されています。
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