長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:日本伝統捕鯨地域サミットのここがポイント

生月学特講:日本伝統捕鯨地域サミットのここがポイント

 五月一一日に本町で開催される第二回日本伝統捕鯨地域サミットは、昨年第一回が山口県長門市で開かれた際、日本捕鯨の歴史と文化を掘り起こし、広く伝えていくという目的で、全部で五回開催される事となりました。その中で最初の長門サミットはいわば問題提起の回で、その後三回のサミットで、原始・古代、古式捕鯨、近代捕鯨という各時代毎の研究発表と討論を行い、最後の五回目が総括に予定されています。今のところ九州で開催されるのは今回の生月だけで、いうなれば、捕鯨との関係が歴史的にも深い長崎県、さらには九州の代表としてサミットが本町で開催されるという意味では責任は重大です。
 今回、生月が開催地となった理由については、島の館の捕鯨コーナーや、勇魚捕唄など伝統文化の継承の取り組みが水産庁などから評価され、第二回開催地としての強い推薦もあって、町長もそれに応えられた事が直接のきっかけですが、今回のテーマである原始・古代の捕鯨を検討する上でも、九州とりわけ長崎県が、恐らくは国内で他に匹敵する地域がない位、当時の鯨や捕鯨に関する資料や遺跡、情報が豊富な点が考慮されたようです。
 今回のサミットのテーマを分かりやすく言えば、「日本人はいつから鯨を取るようになったか」を明らかにする事にあります。「捕鯨は日本の伝統的文化」と言われますが、実はその起源について、これまで集中的に論議される機会は余りありませんでした。原始・古代といえば、文字で書かれた記録は殆ど無く、土の中から発掘調査などで掘り出される遺物が頼りの考古学の世界ですが、考古学者の方々の意見は、大きく二つに分かれています。一つは当時の技術水準ではとてもあの大きな鯨を取る事は不可能で、せいぜい浜に流れ寄った鯨を利用した程度だろうという捕鯨否定論で、もう一つは、当時の人々は存外進んだ技術を持っていて、鯨も積極的に取っていたとする捕鯨肯定論です。さらに細かく、各時代毎についても様々な意見があり、例えば縄文時代には既に捕鯨が行われていたとする意見や、古墳時代以降だとする意見など、捕鯨が始まった時期についても諸説あるので、その辺を巡って、参加する先生方の熱いバトル(論戦)が期待できそうです。
 検討される要素としては、例えば熊本県を中心に、縄文時代後期頃の多くの遺跡から、裏底に鯨の椎間板(骨)のでこぼこ模様が残った土器が沢山出てきますが、この土器は、円盤型をした椎間板を土器を作る台として使ったようなのです。次の弥生時代になると、壱岐の原ノ辻をはじめ多くの遺跡から、鯨の骨で作った道具が出土しています。こうした遺物が確認されてはいますが、これについては漂着した鯨の骨を利用した可能性も否定できません。一方で、平戸瀬戸に面した田平町のつぐめの鼻遺跡(縄文時代)からは、大量の石の銛先が発掘されていますが、これも捕鯨の銛か否か議論が分かれています。一方、古墳時代になると、壱岐の古墳の壁石などで突取捕鯨の様子を刻んだ絵が発見されており、鉄製の銛も発掘されているので、古墳時代には捕鯨が行われていた可能性は高いようです。
 サミットの初めには、不肖私が、この地域における捕鯨の歴史的概略を手短かにお話しする事になっています。漁法(捕鯨法)と漁場の関係に焦点を当てる事で、その後の先生方の発表やシンポジウム等の流れに上手く繋げられればと思います。
写真1:縄文時代の捕鯨漁場だった可能性もある平戸瀬戸
写真2:壱岐、鬼屋窪古墳の捕鯨線刻画(『九州歴史大学講座』より)
(『広報いきつき』2003年5月号掲載 中園成生)




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