生月学講座 No.041「子供達の正月行事」
- 2019/12/17 18:00
- カテゴリー:生月学講座
都会の正月は寝正月や旅行のための休日の観が強いですが、生月島では元旦の初詣をはじめ、社寺や教会、さらに地域や各家庭で様々な行事が行われています。その中には、子供達が活躍する行事もあります。
一月五日には、壱部浦の浦北、浦南で百万遍という行事が行われます。朝、班長さんの家を宿にして、小学生を中心とした男の子達が集まり、区域内の家を巡ります。紙の旗を付けた笹竹を持った三人の子供が玄関に入り、奥に向かって立ち、笹竹で叩きますが、その時「悪魔ん神は出て失せろ、福の神は入ってこい、入ってーこいったら入ってーこい」と、鉦太鼓に合わせて皆で唄います。祓う家からはお賽銭を貰い、永光寺のお札を渡します。またお札を付けた笹竹を、海岸の各所に立てます。浦南の坂口区長さんのお話では昔はもっと過激だったそうで、お賽銭等の出し前が少ない家では、迷惑になる程続けたり、わざと荒神様の神棚に笹を当て、上がっている重ね餅を叩き落として持ち帰ったりしたそうです。また浦北と浦南の組が今の公民館あたりで出会うとよく喧嘩になり、相手の笹竹を奪い取ったり、鉦太鼓を海に放り込んだりしたそうです。
同じ百万遍でも、舘浦の行事は少し違っています。一月七日の朝、法善寺に子供達が集まり、寺総代さん達と一緒に舘浦の道を行進しながら、鉦や太鼓に合わせて「百万遍」と叫びつつ一巡します。そして辻や海岸などにお札がついた笹竹を立てていきます。しかし各家を祓う所作はありません。
一方一月五日には、御崎、壱部在、堺目、元触などでは大般若という行事が行われます。区長さんや寺総代さんに引率された数人の男の子が、鉦を叩きながら家々を回り、お汐井(海水)を付けた笹で玄関などを祓います。
昭和三〇年代まで盛んに行われた行事に、もぐらうちがあります。山田では一月一四日の夕方、子供達が近所や親戚を回り、「一四日のもぐらうち、納戸の隅からドッサイド、米千俵、麦千俵、ヌカヅカの隅からドッサイド」と唱えながら、長さ二メートル程の竹の先に稲藁を巻き付けた棒を持って、家々のニワ先を叩いて回ったそうです。特に子供が生まれて最初の正月(初正)を迎える家には真っ先に行って叩きました。やって貰った家では奥さんが、重ね餅などを下げて子供達に与えましたが、集まった餅は子供達で食べたり分配したりしました。しかし餅の出し前が少ない家では、「餅くれんかかは鬼のごたる子を持て」と悪態をついたといいます。回り終わると、もぐらうちの棒を折って、桃など果物の木に掛けておくとよく実が成るといいました。なお翌一五日の朝には、餅が入ったお粥を作って、神様に供えたり家族で食べたりしましたが、少し残しておいて果物の木の又などにかけ、「成るか成らぬか、成らぬなら切るぞ」と唱える風習もあったそうです。
子供達が行事に参加することは、地域を認識する良い機会になっていると思います。