長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.044「生月の地質」

 私たちが住んでいる生月島は、どのようにして出来たのでしょうか。以前、長崎大学の伊藤修三先生たちが、生月島の自然を調査した時のデータを参考に見てみましょう。
 現在、生月島の地表面で観察される地層には、恐竜が生きた時代である中生代(今から七千万年以上前)に出来たような古い地層は、残念ながらありません。最も古い地層は、ほ乳類の時代になった後の今から約千五百万年前の新生代の新第三紀に形成された堆積岩層で、平戸層群と呼ばれています。堆積岩というのは、小石や砂、泥、火山灰などが川などによって海や湖に運ばれ、底に積もっていって重みで石になったものです。平戸層群の地層は、生月島では舘浦から壱部浦にかけての海岸部や、番岳の裏側の海岸部で見ることができます。例えば、日草鼻付近の海際の崖に白い砂岩の層となって見えているのがそれで、近づいてみると、下には石が風化してできた砂が積もっています。場所によっては木の葉の化石なども出ており、また昔、現在の町役場の場所付近で石炭の採掘が試みられた事もあったのですが、石炭も、堆積岩に含まれた植物化石が炭化したものです。
 その後、この平戸層群が作られた海底は、隆起(地震の力などで土地が上に持ち上がる事)して地表となりますが、今から一千~六百万年前に大規模な火山の噴火が起きます。
 噴火によって、地底深くに存在しているマグマは、地表まで上昇してきて、溶岩として噴出します。ただし一口で溶岩といっても、なかにはサラサラなものもあれば、粘りけの強いものもあります。この違いは、地上まで上ってくるまでの様々な物質の取り込み方によるそうです。元のマグマは珪素というガラスの材料になる物質が多く、大変粘りけが強いのですが、鉄など他の様々な物質が多くとけ込む程サラサラになっていくのです。この溶岩の性質によって冷えて出来る石の種類や、噴火のタイプ、噴火によって出来る山(火山)の形も違ってくる訳です。例えば、伊万里市の南にある黒髪山などは、非常に粘りけのある溶岩が噴出したため流紋岩というつるつるした石や、石器の材料にもなるに黒曜石という黒いガラスのような石が層をなし、塔のような急峻な山を作っています。一方、平戸島の中南部では、そこそこ粘りけのある溶岩の噴火が安山岩という石の層を作り、安満岳、有僧都山、志々伎山などの比較的そびえ立つタイプの山が形成されています。
 一方、生月島の平戸層群の上には、北松浦半島北部にかけて分布する松浦玄武岩と呼ばれる石の層が乗っています。この石はサラサラタイプの溶岩が冷えて出来るもので、何度も繰り返し噴出する事で数百メートルもの厚さになっているところもあります。この溶岩は水のように流れやすいため、広く平べったい山(溶岩台地)を作るのが特徴です。このようにして出来た山も、雨や風によって浸食されていくのですが、山頭や御崎台地は、残丘と呼ばれる、浸食を免れた溶岩台地の山頂部が残っている所です。また、島の西海岸や北東海岸に広く発達した海食崖は、溶岩台地を海が削ることで作られた地形ですが、なかでも塩俵断崖は、溶岩が厚く積もって冷えて固まる際の収縮によってできた柱状の割れ(柱状節理)の様子を見ることができます。

 




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