長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.062「舘浦盆踊り-アビャゴの起源」

 舘浦の須古踊りの中で以前から気に掛かっていたのが、短冊が付いた笹竹を担ぎ、化粧をして、踊りの前に口上を述べるアビャゴという少年です。現在、舘浦の浜と屋敷で1年交代で、小学4年生の中から話し合いで決めています。神社や寺院などに対する奉納踊りに限って、槍、挟箱、杖の演技が終わって中踊り(須古踊り)に入る前に、中腰のアビャゴが「東西や東西や 御静まられ候 さ候えば天下泰平 国家安全の御世なり 神をいさめる漁祭り 当浦大漁御繁盛の為 ばんばら踊り 中で神仏太鼓の頭」と、口上を述べ扇子を振りながら、踊る場所を横切りますが、それが終わって、中踊りの踊り手にアビャゴも加わって踊ります。口上の中に出てくる「神仏」とはアゴャゴの別称です。
 アビャゴの起源を知ろうと思い、県下の芸能に同じような装束の者がいないか調べてみました。最初、持っている笹竹が七夕飾りに似ている事から、水神祭や雨乞いに注目して探してみたのですが、その方面には該当例がありませんでした。ただ『長崎県の民俗芸能』に載っている平戸市獅子の須古踊りの記事に、中踊りの際には中央に女形(女装した男性)がいて、その周囲に菅笠に扇を持った踊り手が輪を描いて踊り、さらにその外側にトクラゲというタカラ笠を被った男の子達が取り巻いて竹を鳴らしたとあり、この中央の女形が踊る前に口上を述べていたようで、アビャゴと似たところがあるように思いました。また大村市寿古で行われている寿古(すこ)踊でも、振袖に飾り袴を付けた舞太鼓という子供が、垣踊の中央に居るという事が分かってきました。
 その後、五来重さんという民俗芸能を研究していた先生の『踊り念仏』という本を読んでいた時、中世に描かれた『七十一番職人歌合』という史料に出てきた「放下(ほうか)」という僧が、短冊が付いた笹を付けていて、アビャゴの格好とそっくりなのに気づきました。放下とは、中世に全国を旅して念仏を広めて回った念仏僧(念仏聖)の一種でしたが、近世に入ると、新発意(しんぼち)や願人坊と言われるようになり、次第に宗教性が薄れ、芸人化していったそうです。そこで思い当たったのがアビャゴの別名「神仏(しんぶつ)」で、これも新発意の訛りではないかと思いました。
 五来先生によると、日本の民俗芸能の多くは中世の踊り念仏に起源を発していて、歌舞伎などもその流れに属しているそうです。踊り念仏とは、念仏を唱える際に踊る動作を伴ったもので、鉦を叩くリズムに合わせて踊り、ただ唱えるよりも動く分だけ、より宗教的興奮を得る事ができたそうです。有名なのは時宗を開いた一遍上人です。放下僧も、民衆の踊りの輪の真ん中にいて、踊りを指導していたそうです。平戸や大島のジャンガラも、元々の踊り念仏が本来の宗教性を弱め、どちらかと言うと踊る事に主眼を置く芸能化したもののようです。須古踊りについては、佐賀県杵島郡白石町にある須古の地で踊られていたものが、戦国時代に龍造寺隆信が須古城を攻め落とした時、落ちのびた者が各地に伝えたという説がありますが、舘浦須古踊りにおけるアビャゴの存在は、須古踊りも、踊り念仏が芸能化して成立した事を示す証拠と考えることが出来そうです。

(2004年11月)

 




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