長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.078「生月島とシイラ」

 シイラは熱帯から温帯にかけて生息する回遊魚で、大きいものは体長2㍍近く、重量10㌔を越える大型の魚で、頭の上(おでこ)が膨らんでいるのが特徴です。生月島では8月末から9月にかけてツクシトビウオの若魚(アゴ)がやってきますが、シイラはそれを追って主に9月後半から10月にかけて沿海に現れます。大きさによってカナヤマ(7~10㌔)、チュウイオ(5~6㌔)、ナカブクラ(4㌔程度)、ズーナカニギリ(2㌔程度)、ベッタイゴ(2㌔未満)と呼称が変わり、総称でヒウオと呼ばれます。

 明治16年(1883)制作の『北松浦郡村誌』によると、島北部の生月村では15,000斤、南部の山田村でも17,000斤もの大量のシイラが水揚げされています。当時のシイラの捕獲の主なものは一艘船引網によるものと思われますが、この漁法は、テントブネという中型の和船に7~8人が乗り込み、5挺櫓をおしてシイラの群れを追い、網を張り回してから曳き上げて捕獲する漁法ですが、多い時には1日で7~8回も網を入れ、一網で3~3.5㌧も揚がる事もあったそうです。漁で特に重要なのはシイラの群れを見つける事なので、メギキと呼ばれる視力に優れた人を雇い、シイラが飛ぶ(水上を跳ねる)様子から群れの進路を予想しました。なお特に大きな群れを見つけた人には、ミテブネといって取れたシイラの中から大きいものを1尾貰うことができました。網を入れると、網と船の間に延びた縄に若手がかがりつき、手で海面を叩いてバシャバシャいわせ、船上からも石を投げ込んで群れを網の中に誘導しました。

 一艘船引網の頃、壱部浦のシイラ船では出漁の時、次のような呪文を唱えて大漁を祈願したそうです。「アトトアサデガケ、ヒウオカナヤマフネイッピャー(船一杯)、ツキモントンバカリ(突物十ばかり)、サエシゴンマイ(4~5枚)、ポイエビスサマー」。ヒウオやカナヤマはシイラの事ですが、ツキモンとは鱶やバショウカジキ、サエはイトマキエイの事です。シイラ網ではこれらの魚も一緒に入る事があったのです。

 昔は取れたシイラは、鮮魚のまま出したり、半切桶に入れて2~3日塩漬けした後干して出荷していましたが、特に伊万里方面では、シイラの漁期が秋の祭礼の時期と重なるため、多くの需要がありました。生月島でもオクンチの宴席の刺身としてよく用いられましたが、壱部浦では「白山様のお祭りの時(旧9月9日)にはヒウオは少なかが、住吉様の時(旧9月13日)にはヒウオが良く取れる」と言われました。なお生月島では、シイラの刺身は味噌をつけて食べるものとされています。塩干ししたものは、正月にニワ(土間)にかけるシャーギ(幸木)の魚として用いられましたが、3~4月頃まで、茹でて軟らかくして食べられました。また内臓は塩辛にされました。

 一艘船引網のシイラ漁は戦後は機械船となり、1970年頃まで行われて終わりますが、その後は大規模定置網による漁獲が主になって現在に至っています。筆者も10月末に舘浦漁協の定置網に乗船させて貰い、定置網の水揚げを見学させてもらいましたが、太平洋側を台風が通過した関係で強い北風が吹いたため、季節の割には比較的多くのシイラを見る事ができました。しかし台風が通過して南西風に変わると、さっぱり取れなくなったそうです。

 




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