長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.131「サンジョワン様の唄」

 8月23日に開催される西本智実さん指揮のイルミナートフィルハーモニーオーケストラの公演の際には、壱部の唄オラショがかくれキリシタン信者の方によって披露されますが、公演に先立って開催される世界遺産フォーラムでは、山田に伝えられてきた唄オラショ「サンジュワン様の唄」「ダンジクの唄」が披露される予定です。これらの唄は、行事の際に「一通り」「本座」というセットで必ず唱えられるオラショではなく、山田の御爺役・親父役が全員寄って行う「三触寄り」という形態の行事の際に、本座でオラショを唱えた後の宴席で唄われるもので、その他に唱える場合も、御爺役かその隠居(元職)が臨席する座でないと唄ってはいけないとされてきました。二曲の歌詞を紹介します。

【サンジュワン様の唄】
「んー 前はな泉水やーなぁー 後ろは高き岩なるやーなぁー 前もなうしろも 潮であかするやーなぁー
 んー この春はなーこの春はなぁー 櫻な花かや ちるぢるやーなぁー 又くる春はなぁ つぼむ開くる花であるぞやーなぁー 」 

【ダンジク様の唄】
「んー 参ろやな参ろやなぁー パライゾーの寺にぞ参ろやなぁー パライゾーの寺とは申するやなぁー 広いな寺とは申するやーなぁー 広いな狭いは我が胸に在るぞやなぁー
 んー 柴田山柴田山なぁー 今はな涙の先なるやーなぁー 先はな助かる道であるぞーやなぁー」

 歌詞から分かるように、この二つの唄は、ヨーロッパから伝わった祈りや聖歌でも、それらを和訳したものでもなく、信者が自らの信仰に対する思いを歌ったもので、永池健二氏によると、フレーズには平安時代に成立した仏教歌謡である「和讃」の影響が見られるそうです。ではこれらの唄は、そもそもどのような理由で作られたのでしょうか。

 単純にタイトルのみから解釈すると、各々の殉教地で亡くなった信者への思いを詠ったものと取られますが、こんにちの信者は実際そのように理解しています。確かに「パライゾ」「散る桜」や「今は涙」「先は助かる」等の文句が、死や殉教を暗示しているように思え、「前は泉水」「後ろは岩」等の文句は、処刑が行われた中江ノ島の風景を表しているように思えます。しかし歌詞の中には、殉教地名や殉教を直接示す文言は登場しません。

 繰り返しになりますが、この二つの唄は、山田集落のかくれキリシタン行事の中でも、御爺役・親父役が集まって行う「三触寄り」に限って歌われてきました。集落規模で行われる三触寄り行事の起源を、キリシタン信仰当時、集落規模で存在した「慈悲の組」(ミゼリコルディア)で行われた行事とするなら、これらの唄は、慈悲の組の役職である慈悲役が関与する形で歌われた唄である可能性が想定されます。慈悲役はキリシタン時代、信者の死亡に際して葬儀に携わっていた事が、宣教師報告の記述から確認できます。その事から、この二つの唄は本来、キリシタン信者の葬送の際に、慈悲役の指導で唄われていた挽歌だった可能性があると考えています。

2014.6

 




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