生月学講座 No.136「聖母子と二聖人」
- 2019/12/18 10:13
- カテゴリー:生月学講座
先日、大阪府茨木市で開催された「隠れキリシタンの里サミット」に参加してきました。現在、かくれキリシタン信仰が確認されているのは殆ど九州内ですが、九州以外で唯一確認されているのが茨木市北部の山間地にある千提寺・下音羽地区です。両地区は戦国時代、キリシタン大名として名高い高山右近の領地でしたが、大正時代、教科書でもよく紹介される「聖フランシスコ・ザビエル像」を始めとする、キリシタン時代に遡る聖具が多数発見されています。それらを秘蔵していた家の人の話では、大正時代頃までかくれキリシタン信仰に関する行事が行われ、オラショも唱えられていたそうです。
見つかった聖画の中に、「マリア十五玄義図」という名称のものが2枚ありますが、これらは生月島のかくれキリシタン信仰とも繋がりが認められるものです。同図の左右上端には各5枚、計15枚の小さな絵が配され、左下から順に聖母マリアの生涯が、喜びの場面5枚、悲しみの場面5枚、栄光の場面5枚と描かれていますが、これはカトリックで行われるマリアの生涯を観相する玄義に対応したものです。ちなみに生月島や平戸島西岸で小組の御神体とされている「お札」は、まさにこの十五玄義に対応したもので、オラショの中にも「十五くだり」という十五玄義に対応したものがあり、キリシタン時代、マリアの十五玄義が広く信仰要素として存在していた事が分かります。
「マリア十五玄義図」の中央部は上下に分かれ、上段には聖母子像で、下段は中央に容器に入った聖体を配し、それを左右2名の宣教師が仰ぎ見る構図になっています。実はこの中央部とよく似た配置のお掛け絵「聖母子と二聖人」が生月島内6カ所で確認されていて、特に元触の三垣内の御前様は全てこの系統です。この二聖人が誰かについての答えも「マリア十五玄義図」にあり、二人の宣教師の下には「S・P・IGNATIVS・SOCIETATIVS」と「S・P・FRANCISCVS・XAVERIUS」という名が記されています。この名はイエズス会の創始者イグナチウス・ロヨラとフランシスコ・ザビエルである事から、描かれた宣教師はロヨラとザビエルである事が分かります。「マリア十五玄義図」に描かれた二人の宣教師は頭上に光輪を有し、左のロヨラは両手を合わせ、右のザビエルは胸の前に少し離して両手を置いていますが、この構図は生月島の「聖母子と二聖人」でも全く同じです。但し「聖母子と二聖人」系統のお掛け絵には、二聖人の衣装が宣教師風なものと、直衣のような衣装のものとがあります。
「マリア十五玄義図」の場合、十五玄義、聖母、聖体の三パートが複合して一枚の聖画になっていて、二人の宣教師が直接礼拝するのは聖体ですが、十八世紀のピエール・モワットの版画には、ローマのジュス教会にある「道ばたの聖母」の絵をロヨラとザビエルが礼拝する絵があります。恐らくは同様の構図の絵がそれ以前から存在し、「マリア十五玄義図」や生月島のお掛け絵「聖母子と二聖人」の原図になった事が考えられます。いずれにせよ「聖母子と二聖人」系統のお掛け絵は、イエズス会との関わりが明白な事から、生月島における信心組の導入が、イエズス会主導で行われた事を示唆する重要な資料でもあるのです。
2014.11