長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.138「百万遍」

 以前、正月の子供の行事でも取り上げましたが、生月島内では正月に「百万遍」「大般若」と呼ばれる一連の行事が行われています。5日には、壱部浦では子供達が家々を巡り、玄関を笹竹で叩きながら、「悪魔ん神は出て失せろ、福の神は入ってこい、入ってーこいったら入ってーこい」と、鉦太鼓に合わせて唄います。舘浦では7日の朝、法善寺に子供達が集まり、寺総代さん達と一緒に舘浦の道を行進しながら、鉦や太鼓に合わせて「百万遍」と叫びながら一巡し、辻や海岸などにお札がついた笹竹を立てます。御崎、壱部、堺目、元触では5日に、区長さんや寺総代さんが2人の男の子を連れ、鉦を叩きながら家々を回り、男の子がお汐井(海水)を付けた笹で玄関などを祓う「大般若」という行事が行われていて、5〜6日にかけては、永光寺の和尚さんと檀家の方が壱部浦と舘浦の家々を回り、鉦に合わせてお経を読み、家の者を経典で叩いて祓う行事が行われています。

 これらは元々、「百万遍」という一つの行事に関係しているものだたと考えられます。大正7年(1918)制作の『生月村郷土誌』によると、旧暦の正月4日、永光寺の住職が終日、大般若経を唱えて全村住民の災難除けの祈願を行いましたが、その年の役にあたった家から1名ずつ(大抵は鉢巻をした子供が)出て大鐘と大太鼓を担ぎ、浦では浦中と周辺の道路を打ち巡り、在部では各々の集落をほぼ終日かけて打ち巡りましたが、他の集落の組と接近すると、お互いにときの声を上げ鐘を大きく鳴らして競い合ったそうです。その後、大般若経を納めた箱を捧げて各家を巡り、経巻を出して家の者の頭上に押し戴かして、賽銭を受け、戸口に貼るお札を配りました。一通り回って子供が寺に帰ってくると、大きな米のお握り「ほっきゃー」を貰って食べたそうです。

 『生月村郷土誌』によると、行事の目的は、在方では豊作と害虫駆除、浦部では悪疫退散だとされ、維新以前、各集落から永光寺に大般若経の箱を受取りに行く時には、屈強の若者数人を選び、若者は肩肌を脱いで鉢巻をし、永光寺で箱を受け取ると他の集落の者より先に自分の集落に入ろうと競争し、怪我人が出る事もあったといいます。聞き取りによると、山田では戦前頃まで、2人1組になった若者が永光寺から大般若経が入った箱を6つ持ち帰り、鐘も風呂敷に包んで持ち帰りましたが、壱部に行く時には走って競争していたそうです。山田に戻ると鉦を叩きながら神社仏閣を回りましたが、その時に「ハーライ」「ハーライ」とかけ声を上げました。また昔の農協の前では、二つの箱を「ゼロカイ」「ゼロカイ」と言いながら押し合う「競り合い」という行事が行われたそうです。

 こうして見てくると、「百万遍」は本来、永光寺を拠点に、最初に子供達が鉦太鼓を叩いて集落内を巡る先触れが行われ、次に大般若経を納めた箱を担いで回り、家々で(おそらくは経を唱えながら)経巻を身体に押し当てて無病息災を祈願する行事として行われたと思われます。しかしその後、どのような理由によるのか分かりませんが、戦前の山田と、壱部・堺目・元触ではお経の箱が巡る行事のみが簡略化して行われ、舘浦では先触れのみ、壱部浦では先触れとお経で祓う行事が別々の形で行われるようになったようです。

2015.1

 




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