長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.141「澤田美喜女史の生月島訪問」

 4月25日から開催している企画展「いにしえのかくれキリシタン信仰と生月島」では、長崎歴史文化博物館に所蔵されている生月島を撮影した古写真32点をパネルで紹介しています。この白黒写真群は長崎市の郷土史家・渡辺庫輔氏が、かくれキリシタンに強い関心を持っていた澤田美喜女史の生月島訪問に随行した際に撮影されたものです。澤田女史は三菱の創業者・岩崎弥太郎の孫にあたり、ご主人は外交官で戦後日本で初代の国連大使にもなった澤田廉三氏でしたが、昭和23年(1948)には国際混血孤児を救済する施設「エリザベス・サンダース・ホーム」を設立されています。
 写真を紹介するためには、澤田女史一行の来訪について調べる必要が生じました。まず最初に、旧生月町で助役を務められた田渕俊雄さんにお尋ねすると、それは昭和30年代の事だと言われ、田渕さんが所属する元触・小場垣内の御前様のオコクラ(木祠)の新調に際しては、澤田女史が寄付をされた事も分かりました。大まかな時期が分かったので、次に支所に残されていた旧生月町時代の「助役備忘録」のコピーを閲覧する事にしました。この資料は、助役が町で起きたおもな出来事を書き留めた冊子ですが、昭和32年6月17日の項に「沢田国連大使夫人一行、東京及神奈川より旧キリシタンの遺跡並に行事等視察調査のため来町。本日より四日間に亘り滞在し、各部落の遺跡、伝導的の行事等つぶさに調査され同日二十日には中江島に渡りオラショを唱えお水取りの行事を視察し、佐渡丸に便乗、薄香経由で帰省す。」という記述があるのを確認できました。
 これで時期については分かったのですが、一行の構成などについては分かりませんでした。例えば写真には白人男性も写っていて、子供達の前でハーモニカを吹いている場面なども遺されていました。それで備忘録にあった日付を頼りに、佐世保市立図書館で当時の新聞を閲覧してみる事にしました。昭和32年当時、県内で販売されていた一般日刊紙は西日本と朝日の二社でしたが、そのうち朝日新聞の6月19日号に「‘納戸神,を初めて公開 生月町隠れキリシタンの儀式」という見出しで写真付きの記事があるのを見つけました。この記事には参加者の記述もあって、澤田女史の他、関西学院大学ウィリアム・ブレー博士、キリシタン研究家・渡辺憲一郎氏、現地(長崎)の案内役・渡辺庫輔氏という構成だった事が分かりました。インターネットなどで検索すると、ブレー博士は神学の研究者でしたが、渡辺憲一郎氏については確認する事ができませんでした。
 渡辺庫輔氏の写真によると、一行は滞在中に壱部岳の下、同種子、堺目上宿、元触上川、山田日草2などの津元・垣内(組)の御前様(御神体)を拝観し、壱部の「お水取り」「お授け(洗礼)」、堺目の「御世上祭」などの行事を見学し、堺目の「幸四郎様」「焼山」、山田の「ガスパル様」「ダンジク様」、舘浦の「千人塚」などの聖地を巡っています。「お授け」については対象の「へこ子」が写っておらず、信者が模擬的に作法を披露した可能性があります。ガスパル様の写真には現在切株だけが残る「ガスパル様の松」が見事な枝振りで写り、現在は舗道と階段が整備されている海岸際の聖地「ダンジク様」についても、草地の急斜面を危なそうに下る一行の様子が写っています。

2015.4

 




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