生月学講座 No.149「かくれキリシタンの屋祓い行事」
- 2019/12/18 10:27
- カテゴリー:生月学講座
生月島では正月の間、様々な宗教・信仰が関わる形で、家の内外を祓う「屋祓い」という行事が行われます。仏教系統の屋祓いについては既に取り上げましたが、今回は、かくれキリシタン信仰の屋祓い行事について取り上げてみようと思います。
かくれ信仰の正月の屋祓い行事は、生月島の壱部、堺目、山田の他、平戸島の根獅子で行われていました。なお屋祓いは葬式後にも行われていて、生月島では前記3集落の他、元触で行われていましたが、行事の内容は正月の屋祓いと大体同じでした。
壱部・岳の下津元の屋祓いは「ゴジンキン」「オジシ」と呼ばれ、正月4日に行われていました。早朝、親父役と御爺役、ゴショウ人4名、その他の役中2名が津元に集まり、座敷で一通りのゴショウを唱え、オマブリにお水をうった後、4人組を2組編成し、4人がそれぞれ、お掛け絵、お水瓶、オテンペンシャ、オマブリを入れた袋(これを持つ人を「ダンゴカライ」と言った)を持って、信者の家々を回りました。カドグチ(屋敷の入口)に来ると、お水瓶とオテンペンシャを持った者がオラショ「ミジリメン」を歩きながら唱え、井戸やヘヤ(隠居屋)の玄関を祓い、さらに母屋に上がって家内を回って祓い、最後は玄関から外に向かって祓い出しました。それが終わって初めて、お掛け絵を持った親父役(御爺役)が家に上がり、一同で座敷に座り、家人にオマブリを渡した後、接待を受けました。なお普通の家では御神体などの持ち物は懐に入れたままですが、「お休み場」(宿)という特定の家では、お膳に置かれた二升枡に持ち物を預ける事で、寛いだり便所に立つ事ができました。夕方までかかって回り終えると津元に戻り、祭壇に御神体を戻し、お着きのゴショウ(六巻)を唱えてから、座敷で酒肴をいただきました。
堺目では「御名代(ゴミョウダイ)」と呼ばれ、5日に行われました。基本的な行事内容は壱部と同じですが、回るのはお水瓶、オテンペンシャ、ダンゴカライの3人編成で、祓い始めも母屋の中柱から始め、オラショも「キリアメマリア」を唱えました。
山田の屋祓いは前の2集落と大きく異なり、親父役が一人でお水瓶を持ち、決まった場所に立って祓います。家に着くと、まず座敷に座って半座のオラショを唱え、途中で立ち上がり、家の四隅と台所、玄関などで特別な文句を唱え、左足を三回前に踏み出しながらお水を打ちました。祓い終わると座敷に戻って座り、残りのオラショを唱え、終わると酒肴をいただきました。平戸島の根獅子では、元日から3日までの間に、水の役が受け持ちの家々の屋祓いを行いました。祓う順番は、中柱→玄関→神棚→縁側→仏壇→荒神棚→囲炉裏→中柱で、それぞれの場所でお水を打って専用の文句を唱えますが、囲炉裏と荒神棚では特別な文句を唱えました。
このように生月・平戸系かくれ信仰の屋祓いには、歩き回りつつオラショを唱えながらお水・オテンペンシャで祓い、玄関から祓い出すタイプと、定点に立って文句を唱えながらお水を打つタイプがある事が分かります。なお壱部の場合、本来は御前様が家々を巡幸する行事で、御前様が上がる前に屋内を清める必要から祓っていると思われ、「御巡検」「御巡視」という呼称もそれを暗示しているように思います。
(2015.12)