長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.153「ホウニンサン・ヤンボシサンの役割」

 生月島や平戸島には、住民が原因不明の病気や怪我が続くなどの問題が起きた時、依頼を受けて託宣を行い、原因の物語的説明と信仰的解決方法を提示する宗教者が各地におられます。彼らはホウニン(法人)サン、モノミサンと呼ばれますが、仏教系の修行を行った方をヤンボシ(山伏)サンと呼ぶ事もあり、また琵琶を弾きながら読経を行う荒神祓いを専ら行う天台宗の僧侶(研究者は「盲僧」と呼びますが、盲人の方とは限りません)も託宣を行う事があります。彼らは修行や病気などが原因で霊や神仏と交信する能力を得、それらを憑依させて託宣を得ますが、その際に他者に憑依させる場合と、宗教者自身が憑依する場合があります。託宣で示される問題の原因には、祖先の霊や河童の障りとされる場合もありますが、禁教で殺されたキリシタンの霊(死霊)が原因とされる場合も多く見られます。彼ら自身が託宣に引き続き、問題を解決するための祈祷などを行う場合もありますが、檀那寺の僧侶や集落の鎮守である神社の神主に依頼して法事や祓いを実施して貰ったり、かくれキリシタンの行事を行えという託宣が下りる場合もあります。一方、檀那寺の僧侶や氏神社の神主、かくれ信仰の役職者が託宣を行う事はありません。
 こうしたホウニン・ヤンボシの活動はいつから始まったのでしょうか。キリシタンの布教が始まる以前の中世の平戸地方は、古代以来の顕密仏教に,中世期に伝来した禅宗などが加わり、それに神道が付帯した混沌とした信仰構造だったと考えられます。キリシタン布教当初の宣教師報告には、宗教者としては僧侶しか登場しないため、僧侶が寺院と神社両方の祭事を司り、葬儀や法事、神社祭事の他、託宣や祈祷も行っていたと考えられます。その後、唯一神教であるキリシタンが布教された籠手田・一部領では、教義に則った行事や洗礼・葬儀などの人生儀礼の他、病気直しや農耕儀礼など住民が必要とする行事は、全てキリシタン信仰の祭事として行われるようになりますが、諸般の行事には宣教師の他、もと僧侶の看坊、組の役職である御爺役・親父役が当たっています。信者の相談に対する判断については、教義を理解した宣教師が当たったようです。
 慶長4年(1599)以降、平戸藩領ではキリシタンが禁教となり、旧籠手田・一部領では教会は破却され宣教師は居なくなりますが、信仰の組は存続し、行事も継続されます。一方で寺院や神社が再興・新造され、僧侶や神主も居住し、仏教でも葬儀や法事を、神道でも年間の神社祭事等を行うようになり、かくれキリシタン、仏教、神道等が並存する状況が成立しますが、その中では同じ目的の行事を複数の信仰で行うようにもなります。その状況下でホウニンやヤンボシも活動を始めますが、彼らは住民の要望に応じて託宣を行い、住民に問題の物語的帰結を示すとともに、自身や他の宗教者、かくれキリシタン信仰の祭事で処理するように誘導する、いわばコネクターの役割を果たしたのです。
 基本的にキリシタン信仰の形態を継承したかくれキリシタン信仰においても、御爺役候補の適性を確認する託宣はホウニンに依頼しました。キリシタン時代には宣教師が慈悲役(御爺役)の最終認証を行う立場だったと思われますが、禁教で宣教師が不在になったため、ホウニンが降ろした御前様の託宣で、認証するようになったと考えられるのです。

2016.4

 




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