長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.154「三界萬霊塔」

 三界萬霊塔は、平たい自然石の正面に仏教における全ての魂を表す「三界萬霊」という文字などを刻んだ石塔で、全ての霊の供養を目的として建立されたものです。生月島内では、正和の修善寺跡下、壱部浦のトノガワの脇に江戸期に建立された塔があり、それぞれ寛文11年(1671)7月15日」という建立年月日が刻んであります。
 旧平戸市内の三界萬霊塔については、『平戸市史』民俗編に久浦俊朗・萩原博文両氏による報告があります。それによると、旧平戸市内で最古の三界萬霊塔は、岩の上町稗田にある塔で寛文7年(1667)建立、次いで大野町池原の塔が寛文10(1670)の建立です。この2塔については建立者が念仏講になっているのが注目されます。念仏講とは、盆などの時期に、男性の講員が集まって墓地などで鉦の音に合わせて念仏を唱える行う講で、度島では現在も活動していますが、かつては市内の各地に存在していました。
 一方、久浦・萩原報告によると、トノガワ塔が建立された寛文11年(1671)には、他にも多くの場所で三界萬霊塔が建立されています。報告の表によると鏡川町、水垂町、木場町、迎紐差町、深川町、木ケ津町、草積町、大川原町、高越町、獅子町、根獅子町、飯良町、度島浦、度島中部などで、平戸島の北~中部にかけてと度島まで及んでいます。注目されるのは、獅子、根獅子、飯良、度島と生月島など、キリシタン信仰が浸透した旧籠手田・一部領域で多く建立されている事です。
 久浦・萩原報告には、三界萬霊塔については、寛永16年(1639)に起きた浮橋主水事件-主水が平戸藩でキリシタン信仰が行われていると幕府に訴え出て、敗訴・流罪となった事件-の際に、藩の危機を救った江月和尚の指導で建立されたという伝承があるとされています。しかし現在確認されている塔では寛文7年が最古です。ただし伝承からは、塔の建立動機にキリシタン信者への対処があった事が窺えます。
平戸島北部に建立された最古の2塔については、建立者は念仏講になっていましたが、平戸島北部はキリシタン信仰が広まらなかったり、早期に信仰が消滅していたため、住民による念仏講の活動が活発化した事が考えられます。しかし寛文11年に一斉に建立されている旧籠手田・一部領域では、建立者銘は「村中」か無記入となっています。かりに先行する北部の2塔のように住民の発意によるものだとすると、全ての建立年が一緒というのは不自然で、事実、他の地区の塔の建立年は、17世紀後期から18世紀後期にかけてバラバラです。そのため旧籠手田・一部領域では、為政者(平戸藩)サイドの意図によって建立が行われた事が考えられるのです。
 旧籠手田・一部領域の三界萬霊塔は、どのような理由・目的で建立されたのでしょうか。まずは仏教思想に伴う字句の存在から、キリシタンだった住民に仏教信仰を普及する目的があった事が考えられます。しかし同時に「この地域には仏教が定着している」という事を部外者に対して示す-それは即ち、キリシタン信仰の存在を否定する-表象として設けた事も考えられます。また建立年の寛文11年(1671)も注目すべきで、この年は中江ノ島などで生月島他のキリシタン信者が処刑された元和8年(1622)から、49年忌(テオサメ)直後の年にあたります。この事から、元和の殉教の犠牲者を供養する意図もあったのではないかと思われるのです。

2016.5

 




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