長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.160「遠藤のかくれ認識」

 遠藤周作氏が昭和41年(1966)に発表した小説『沈黙』が、ハリウッドの巨匠マーティン・スコセッシ監督によって映画化され、来年初頭に上映される事になりました。この小説は「日本人にとってキリスト教とは何か」を問うた問題作ですが、作中では禁教初期の状況下、信仰を続けるキリシタン信者の存在も描かれています。しかしフィクションによるイメージと実際のあり方の間にギャップがある事もままあり、実際の関係者に不快な思いやとまどいを感じさせる場合もよくあります。
 『沈黙』では、禁教後の日本に潜入した宣教師ロドリゴが、外海、五島、生月などのキリシタン信者の集落を巡り、密かに聖務を行いますが、捕えられ、信者が拷問で苦しむ声を聞き、彼らを助けるために棄教します。踏絵を前に思い悩むロドリゴが神の「踏むがいい」という声を聞く場面は特に小説の核心をなす部分です。一方、ロドリゴの行動を通じて何度も登場するキチジローは、何度も踏絵を踏みながらも信仰を棄て切れない弱き一般信者として描かれています。遠藤氏が当時の信者を、キリスト教の信仰を全うする強き者である「殉教者」と、踏絵を踏む弱き「転び者」という二元論で捉えたのは、神は弱き者の前にこそ姿を現して救って下さるというメッセージがあったからだと思われますが、『かくれ切支丹』(1980)掲載のエッセー「日本の沼の中で」において、遠藤氏は、かくれキリシタンはキチジローのように踏絵を踏んだ「転び者の子孫」だとしています。
 遠藤氏が、自分の信仰意識は「殉教者」ではなく「転び者」の子孫であるかくれキリシタンに近いと考えていた事は、小説「小さな町にて」(1969)からも窺えます。この小説では、遠藤をモデルにしたような作家が感じた、現代の長崎で感じたカトリックの聖職者に対する違和感と、幕末に再布教を図る外国人宣教師がかくれキリシタン信者に対して感じる違和感が並行して語られます。作中、遠藤氏はかくれ信者の言葉をして、神父のオラショはまことのオラショでは無いとした上で、「わしらのオラショは、爺さまやその父さまが畠ば耕し、舟ば漕ぎながら、心の底から唱えとったオラショじゃぞ。お袋さまが、わしらを抱きながら唱えとったオラショだぞ」と言わしめます。この言葉には遠藤氏自身が、再布教後のカトリック信仰に感じていた、どこか身に合っていないような違和感とともに、生活に密着したかくれ信仰の本質が上手く言い表されているように思います。
 遠藤氏が、かくれ信仰・信者を規定するに当たって、同信仰を禁教期の変容の所産とする禁教期変容論の影響を受けていた事は、小説「母なるもの」(1969)の中で「言うまでもなくかくれ切支丹たちの信じている宗教は、長い鎖国の間に、本当の基督教から隔たって、神道や仏教や土俗的な迷信まで混じはじめている」と記されている事からも窺えます。当時はこうした認識が主だったので仕方が無い所もあるのですが、「転び者」を規定する殉教に対する評価の問題と相まって、こうした捉え方では、信者が禁教の危険を子々孫々まで負わせる事を選択しながら信仰を守ろうとした決断の重さや、そうして守った信仰形態(実際にはキリシタン信仰をそのまま守ろうとした)の価値を低く見られる部分は否めず、こんにちの学術的な検証に基づいたイメージで更新する必要を感じます。

2016.11

 




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