生月学講座No.176 「変容と併存」
- 2019/12/18 10:43
- カテゴリー:生月学講座
生月学講座:「変容」と「並存」
今年は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産委員会での審議が行われ、世界遺産登録への期待が高まっている事もあって、かくれキリシタン関係の書籍の刊行も目立ちます。近々では2月に宮崎賢太郎先生の学術書『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』『カクレキリシタン』が角川書店から刊行され、3月には、昨年末に小学館ノンフィクション大賞を取られた広野真嗣氏のノンフィクション『消された信仰』が小学館から刊行される予定ですが、私(中園)も福岡の出版社・弦書房から学術書『かくれキリシタンの起源』を刊行していただく事になりました。
これらの本を含め、かくれキリシタン関連の書籍を読む場合の注目点として、かくれキリシタン信仰を「変容」の所産と見做すか、キリシタン信仰の形を仏教・神道を「並存」する中でそのままの形を保ったものと見做すかという事があります。従来からの捉え方が前者で、宮崎先生はその考えに沿った著述をされており、多くの方もかくれキリシタンに対してはそのような見方をされているのではないかと思います。一方、後者は近年出てきた考え方で、私(中園)の著作ではその考えに立って、かくれキリシタン信仰の成り立ちを解説しています。
宮崎先生は『潜伏・』の中で「並存(併存)」という捉え方を首肯できないものとし、「「併存」という言葉の意味は、一神教としてのキリスト教信仰が日本人に受容され、日本の諸宗教と習合することなく独自に定着残存し、伝承されてきたということを意味するものである。世界の長い異文化の接触と受容の歴史の中で、まったく融合、変容することなく純粋な形で異文化が受け入れられ、土着したという事例はなく、日本におけるキリスト教の場合も例外ではない。」と記していますが、私の方では「キリシタン信仰については、これまで、ヨーロッパから伝わったものがそのまま定着した「純粋な」ものと考えられてきたのですが、実際にはキリシタン信仰の段階で、日本的な信仰要素や仏教の影響がある一方で、中世のヨーロッパのカトリック信仰が持っていた土俗的・迷信的な要素も持ち込まれていました。」(『かくれキリシタンとは何か』2015)と記しているように、キリシタン信仰は宣教師の意図のもと日本の宗教・信仰の影響を受けて成立し、その信仰の形態が禁教時代に、仏教・神道を「並存」させるという選択を取る中で、概ね保持されていったものと捉えているので、宮崎先生のご批判は的外れだと思います。
また宮崎先生は「キリシタン時代の当初より、一般民衆層において、一神教としての真正なキリスト教の教えは日本人に理解されることはなかった。」とされていますが、当時のカトリックを含む全ての宗教においては、教義の理解や儀礼形の提示は、専業宗教者(神父)が管轄するもので、一般信者は行事に参加し祈りを唱える事によって宗教と繋がっていた実情を考えると、一神教としての「真正な」キリスト教の教えは、当時の聖職者や一部有識信者には理解されていたとしても、日本のみならずヨーロッパの一般民衆のカトリック信者や、禁教に直面するなか必死に信仰を継承しようとしたかくれキリシタン信者に対しては、現代の専門の学者の視点から高いハードルを課されているように思います。
ともあれ「変容」と「並存」を巡る議論の中から、本当のキリシタン、かくれキリシタンの姿が見えてくると思いますので、皆さん注目していてください。
(2018.3)