長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No.179「虚構のかくれキリシタン」の問題

生月学講座:「虚構のかくれキリシタン」の問題

 拙著『かくれキリシタンの起源』の中には、本来、かくれキリシタン信仰・信者を検証するのに必要がない項目があります。それは第5章「キリシタン・かくれキリシタンイメージの変遷」ですが、そこでは外部者が抱くキリシタン・かくれキリシタンの信仰・信者に対するイメージとその変遷について記しています。何故この章を設けたのかというと、現実問題として、外部者の抱くイメージと、実際のかくれキリシタン信仰や信者の姿の間には大きな乖離があるからで、お持ちのイメージが各時代の状況によって作られたものだという事を理解していただかないと、いくら資料や実地調査の成果をあげて「実際はこうだ」と説明しても、信じて貰えないと思ったからです。
 イメージレベルで特に深刻な問題が「虚構のかくれキリシタン」で、これはキリスト教に因むとされる十字などの記号や文字などが刻まれた石仏、祠、墓石などの石造物、仏像、魔鏡などの信仰物の存在を以て、そこにかくれキリシタン信者が存在したとする主張です。但しこれらの資料については、宣教師書簡に記されたキリシタン信仰の内容や、実在するかくれキリシタン信仰との関連が認められず、単に近現代の人がキリスト教に関わると判断した事のみによって証拠付けられている事から、私はそれらを「虚構のかくれキリシタン資料(虚構系資料)」と呼んでいます。「かくれキリシタン信仰は禁教期に信者が勝手に信仰形態を変えたもの」とする禁教期変容論は、「このような信仰を作った地域もある」という解釈を容認するため、虚構のかくれキリシタンの理論的根拠となってきました。
 しかし実際に調べると、虚構系資料の品物の多くは、古物商などを通してキリシタン・かくれキリシタン信仰に関係した品物として売り買いされたものだという事が分かります。その殆どは販売目的で細工された偽資料の可能性が高いのですが、例えばマリア観音とされる像の場合も、実際にかくれ信者がかくれ信仰の中で信心した事が確認できなければ、仏教の信仰物である可能性も否定できません。商品となった時点で経歴は分からなくなっているので、かくれキリシタンの信仰資料と断定する事はできないのです。
 様々な分野の研究者の長年の調査・研究によって、キリシタン・かくれキリシタン信仰の実像や経歴は、かなり正確に把握できてきました。こうした研究の成果が世界遺産の価値付けにも大きな役割を果たしている今日において、虚構のかくれキリシタンの存在は、明確に否定されねばなりません。その理由は第一に、実際に継承されてきたかくれ信仰も一括りに学問的に怪しいものと捉えられる危険があるからです。第二に、虚構系資料とされたものの中には、本来、仏教や神道などの脈絡で価値を有する資料もあるのに、かくれ信仰と関連づける事によって本来の価値を損われたり誤解されているものもあるからです。そしてなによりも、学問的に裏付けられたキリシタンの歴史・文化の正しい理解を妨げているという点です。
 そして行政も、虚構系資料を正当な資料のように扱って購入したり、公立の施設においてキリシタン・かくれキリシタンと関係あるものとして展示して、虚構のかくれキリシタンの存在を真実であるかのように紹介する事は、文化財保護法の「わが国の歴史、文化等の正しい理解」という主旨に照らしても、厳に慎むべきです。

(2018.6)

 




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