長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No.182「かくれキリシタンは「カトリック」ではありません」

生月学講座:かくれキリシタンは「カトリック」ではありません

 今年に入り、潜伏キリシタン、かくれキリシタンについて取り上げた著作や関連記事、HPでは、長崎県の世界遺産HPを始め多くの場合、両者を信者というカテゴリーで扱っています。一方、信仰というカテゴリーでは、信徒復活から禁教解除の時期以降も、潜伏キリシタンの信仰を継承した人々がかくれキリシタンとされている事から、信仰や信者の信仰形態については両者は同じ(かくれキリシタン信仰、信仰並存)だと捉えられます。世界遺産HPには禁教解除後に変容したという解釈がある事を紹介していますが、秘匿の解除などの目立った変化が起きてくるのは昭和初期以降で、禁教解除と連動している訳では無いので、「潜伏」と「かくれ」を分ける強い理由付けにはなりません。
 また、宮崎賢太郎先生が「カクレキリシタンはカトリックでは無い」と発言された事に対して批判があるようですが、カトリック信者が唯一神教でローマ法王の指導下にある事を基準にすると、カトリック教会の洗礼台帳にも記載されていないかくれ信者はカトリック信者でない事は明らかです。また同様の判断は潜伏信者にも当てはまるので、禁教時代の潜伏信者はカトリック信者では無い事になります。しかしその事と、私が主張している「かくれ信仰はキリシタン信仰の内容をそのまま継続したもの」という見解は相反するものではありません。否定の基準は他宗教・信仰の並存状態にあるからです。
 同じ信仰・形態なのにわざわざ「潜伏」「かくれ」と区分するのは、キリシタン-潜伏-カトリックという信仰の歴史の連続性を成立させるために過去の宗教学者が提示した設定だと思われますが、潜伏信者は信仰の純粋性を保っていなかったという事になると、連続性は成り立ちません。片岡弥吉先生は『かくれキリシタン』で、潜伏の中にも純粋性を保った集団と変容著しい集団が居ると、つじつま合わせのような説明をされておられますが、実態を見る限りは、禁教時代の信者は須く(並存の形で)カトリックの枠組みから外れる事によってキリシタン信仰を守ったと、ありのままに捉えた方が良いと思います。しかし「(潜伏も含めた)かくれ信者はキリスト教徒か」という問いに対しては、広義の捉え方に立つと否定は出来ないのではないかと思います。かくれ信仰はキリスト教が日本人に受容させて成立したキリシタン信仰を起源としていて、例え他の宗教・信仰が並存していても、その信仰を継承している事は間違いないからです。仏教も、日本では神道と並存する形を取っていますが、だからと言って「仏教ではない」と否定される事はありません。
 以前も申し上げましたが、最近の宮崎先生の御主張の核心は、キリシタン信者が教義を十分に理解していなかった事などを以て「キリシタンもカトリックでは無い」と仰っている事にあります。しかしキリシタン信者は宣教師・修道会を通してローマ法王の指導下にあったのは確かです。K・トマスは『呪術の衰退と宗教』で、今日は宗教をプラクティス(行)よりはビリーフ(信)として捉えているが、中世の民衆カトリシズムにそれは当てはまらず、儀礼的な生活様式であってドクマのセットではなかったと述べています(関一敏「プラクティス/ビリーフ」)。キリシタン信仰も中世の民衆カトリシズムに包括される以上、今日のビリーフの捉え方のみでキリシタン信仰を(そしてその忠実な継承形であるかくれ信仰を)判断する事は、本質を見誤まる恐れがあるのです。

(2018.9)

 




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