生月学講座No.183「かくれキリシタン信仰の御神体の祀り方」
- 2019/12/18 10:48
- カテゴリー:生月学講座
生月学講座:かくれキリシタン信仰の御神体の祀り方
かくれキリシタン信仰では、様々な信仰対象物を祀って行事を行います。生月島では津元・垣内と呼ばれるおよそ数十戸を単位とする組がかつて20以上存在し、信仰の中心組織となっていましたが、その組では「親父役」という組頭の家に「御前様」と呼ぶ信仰対象を祀り、年間を通じて多くの行事を行いました。御前様は、普段は納戸の木箱に仕舞われ、「上がり様(復活祭)」「御誕生(クリスマス)」など主要な行事の時だけ、納戸の木箱の台に幕を張った仮設祭壇に飾り、供え物をしましたが、オラショを唱える行事は座敷で行われました。御前様には「お掛け絵」という掛軸型の聖画が多く、幕に下げて飾りましたが、他に「お水瓶」という中江ノ島のお水を納めた壺、オテンペンシャという麻紐を束ねた祓いの道具も一緒に祀りました。お掛け絵は1590年代以降セミナリヨで多数製作された聖母子や聖人などを描いた聖画が、お水瓶は1550年代から確認される聖水容器が、オテンペンシャはキリシタン信者が苦行に用いた鞭が起源ですが、生月島の津元・垣内も1600年前後に設立された特定対象を信心する事を目的とした信心組に由来し、御前様の祀り方もこのタイプの信心組の祭祀形態に由来するものだと考えられます。
外海地方のかくれ信者は、「宝物」と呼ばれる信仰対象を所持していて、年3回程度の行事の際には「帳方(帳役)」という組頭の家に宝物を持ち寄り、座敷の上座に宝物の箱を置いて飾り、その前に三役(帳方、水方、触役)が正座し、その後ろに一般の信者が座って行事を行いました(黒崎などの形態)。宝物には焼物の慈母観音像(ハンタマルヤ)、ロザリオ、聖画など様々な種類がありますが、本格的に飾られる事はありません。外海の組は「日繰帳」という信仰暦に従って日々の禁忌を守る事を信仰の中心としていますが、同様の目的の信心組は、秀吉の伴天連追放令後、宣教師不在の京都で設立されていた事が確認できます。外海かくれ信者の信仰具所持についても、1591年に教皇グレゴリウス14世が発した大赦(その内容は外海地方に「ドソンのオラショ」として伝わる)で、ロザリオ、メダイ、聖画、アニュス・デイなどの祝別した聖具を所有し祈る事で贖宥が与えられるとされた事に起源があると思われます。こうした外海(黒崎)の組の信仰対象や祭祀形態は、18世紀後期に大村領の外海地方から信者が移住した五島なとでも、そのまま継承されている事が、現地の聞き取りや観察調査で確認されています。
このようにかくれ信仰の信仰対象や祭祀形態の研究では、まずは信仰対象を有する組織がどのような形態や意図を以て祀っているのか、行事観察や聞き取りで確認する事が重要で、その上で他の組や地域の信仰対象や祭祀形態と比較し、系統的共通性や特徴を把握し、さらにキリシタン信仰の信仰内容との比較検討により起源を確認する作業が必要です。
禁教期に信者が勝手に信仰を変容させたとする変容論は、教義や儀礼の創造・変更は専業宗教者が担うという原則で否定されるので、こうした検証方法はある程度有効であると考えますが、最近報道があった、福江島のかくれ信者宅で確認された品物の配置が、キリストの誕生場面を抽象的に表現したものだとする説明などは、こうした検証を経た上の解釈だという説明も無い現状では、こんにちの研究者の個人的な想像のみに依拠した推測(虚構の信仰形態)に過ぎないと、現時点では判断せざるを得ません。
(2018.10)