生月学講座No.196「古式捕鯨を世界遺産に」
- 2019/12/18 10:56
- カテゴリー:生月学講座
生月学講座:古式捕鯨を世界遺産に
今年9月に「捕鯨を守る全国自治体連絡協議会」の事務局がある和歌山県太地町から、「鯨と捕鯨文化(仮)」の日本遺産登録への参加を打診する書類が届き、平戸市でも検討し参加する方向で取り組む事になりました。筆者も捕鯨を研究してきた手前、関わっていく事になりましたが、平戸市には、日本最古(縄文時代)の捕鯨が行われた事を示すつぐめの鼻遺跡(田平)、古式捕鯨業時代前期(17世紀)に活躍した平戸町人の突組(平戸島北部)、中期の網組・井元組(的山大島)、日本最大の鯨組に発展した益冨組(生月島)、上り鯨の漁場として利用された津吉浦(平戸島南部)、明治~昭和初期に平戸瀬戸で行われた銃殺捕鯨など、時代毎に特徴的な捕鯨の事象を物語る場所や有形無形の資料が全市域にあり、そうした歴史を全国にアピールする良い機会になるのではと期待しました。
しかしその後、東京海洋大学で開かれた打ち合わせ会で、遺産登録の事務局となった下関市から、テーマを近代捕鯨に絞らざるを得ないという説明を伺いました。日本遺産を所管する文化庁と事前協議した所、既に和歌山県の日本遺産「鯨とともに生きる」が古式捕鯨をテーマにしているため、それとは重ならず、異なるテーマを設定せねばならないからとの事でした。そうなると古式捕鯨との関わりが中心の平戸市は関われる部分は殆ど無く、僅かに平戸瀬戸の銃殺捕鯨が、近代捕鯨業時代にまたがって行われた事や、近代捕鯨業の主要漁法のノルウェー式砲殺法に先行する漁法である事などで関われる可能性はありましたが、参加の是非については持ち帰って協議する事としました。そして最終的には市長の御判断でエントリーしない事になりました。
その時に改めて考えたのが、日本の古式捕鯨業は、実は世界遺産となるだけの重要な価値を有しているのではないかという事でした。日本の古式捕鯨業では、沿岸で展開した突取法、網掛突取法、断切網法、定置網法など、欧米の捕鯨とは異なり独自性を有する多様な漁法が行われています。例えば主要な漁法となった網掛突取法では、山見による探鯨、網を掛けて鯨の行き足を止める方法、銛や剣を投げ上げる投射法、鼻切り・持双掛けによる鯨体確保、ロクロによる皮脂の解体、小型の竈を多数用いた鯨油製造などが行われていますが、それらは人力や自然力に依存し過剰な捕獲を行わない持続的な操業形態でした。また捕鯨業がもたらした鯨肉は各地に多様な鯨食文化を生み、鯨油は農薬や庶民の灯油となり、髭、筋なども様々な製品の材料となるなど完全利用の形が取られましたが、そうした鯨の産品は江戸時代、独立した経済システムを維持しながら独自文化を展開した近世日本社会を支える重要な役割を果たしています。また捕鯨の様子を描いた多くの捕鯨図説などの記録が制作される一方で、鯨取りが鯨が向き合う中で育まれた鯨の生命を尊ぶ心情により、供養塔の建立、供養の行事などが盛んにおこなわれた事も見逃せません。
ヨーロッパから導入されたノルウェー式砲殺法を主要漁法とした日本の近代捕鯨業にも、鯨肉重視など独自の要素があった事は確かです。しかし欧米諸国とともに南極海などで繰り広げた乱獲的操業については、きちんと反省する必要もあり、全てを無条件に「伝統」「文化」とするのは難しい所です。古式捕鯨を世界遺産にしてその価値を世界に訴える事は、捕鯨モラトリアム以降、日本が取り組んできた環境・資源に配慮した捕鯨の意義をアピールする事にも繋がるのではないかと思います。
(2019.11)