長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No.202「病と宗教」

生月学講座 病と宗教

  1月に中国で発生が確認されたコロナウイルスは、その後全世界に拡大し、日本でも大勢の患者が出ています。学校や職場は待機や在宅勤務となり、経済活動全体が停滞する異常事態となっています。戦後最大の危機だと言われますが、確かに地震や台風などの自然災害の場合は地域が限られるので、他地域からの支援が得られますが、疫病は地域を越えて拡大する上、他人との接触を避ける事まで求められるため支援が困難で、加えて全体的な経済活動の停滞で、大変厳しい事態になっています。
 疫病は過去、14世紀のペストや20世紀初頭のスペイン風邪などの世界的流行があり、日本でもコレラやチフス、天然痘などの流行が何度か起きています。生月島でも、『生月町史』によると大正5年(1916)にコレラ、昭和11年(1936)に腸チフスの流行があり、その際には病人を隔離する「避病院」が山田の飛石に作られています。
  昔の病気平癒では宗教・信仰の役割が重視されていました。生月島のかくれキリシタンでは、聖地・中江ノ島で採取する聖水・お水を病人が薬として飲んでいましたが、これはキリシタン時代から行われてきた習俗です。舘浦のまき網船は、お水を入れたお水瓶を薬として乗せていき、沖で病人が出た時に使っていました。病気になると病気直しの願を立てましたが、壱部では聖地・中江ノ島に立てる場合が多く、実際に中江ノ島に渡る事もありましたが、多くの場合、家の中江ノ島側の窓の前に供え物を置き、ゴショウ人(オラショを唱える男性)が中江ノ島の方を向いて座ってオラショ(唄オラショ無し)を唱えて願を立てました。病気が直ると同様に願成就の行事を行いましたが、その時には願立てと同じ物を供えてオラショ(唄オラショまで)を唱えました。また山田では、オラショを唱えながらお道具(縄を束ねた祓いの道具で元は苦行の鞭)で病人の身体を叩いて祓う事が行われましたが、これもキリシタン時代からの作法でした。
 最も強い病気平癒の行事が「風離し(養生)」です。生月島のかくれキリシタン信者の中では、病気や不慮の事故は、身体に悪いカゼが憑くために起こると考えられていました(この考え方は昔の日本では一般的で、「かぜ」という病名にも繋がっているように思います)。カゼには山風、海風、潮風、恨み風、ショノミ風(ショノムは妬む意味の方言)などがありますが、病気を直すためにはカゼを病人から離す必要があり、そのために行われるのが風離しでした。行事には3人のゴショウ人が必要で、寝ている病人を囲んでお水瓶の役、オテンペンシャ(お道具)の役、煎り大豆を撒く役が座ります。そして「申し上げ」「デウスパイテロ」「万事叶い給う」を唱えた後、「ミジリメン」を7回ずつ都合133回唱え、ミジリメンを唱える毎にオテンペンシャとお水で病人の身体をくまなく祓い、大豆を四方に順に放ります。その後「申し上げ」「デウスパイテロ」「申し上げ」を唱えて終わります。なお亡くなった時にも「風離し」(但しミジリメンの回数は63回)をしないと亡くなった事にはならず、戻し(葬式)が出来なかったそうです。
  今回のコロナ禍では人が密集するため、教会のミサや本来流行り病を避ける目的で行われてきた博多祇園山笠が中止になりました。近代医学の発達で、病気平癒が宗教・信仰の目的から除かれた事が明瞭になった事に、感慨を覚えざるを得ません。    (2020.5)
 




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