長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No.211「かくれキリシタンと牛」

生月学講座 かくれキリシタンと牛

 今年は丑年なので、今回は牛にちなんだ信仰の話をします。農業機械が導入される以前、牛は農業に欠かせない重要な存在でした。田畑を鋤き返す鋤や馬鍬(マガ)を曳いたり、肥料や出来た農作物、薪を運ぶのも牛の大切な役割ですが、牛糞は肥料となり田畑の地力を回復させ、雌牛(ウノ)が産んだ子牛は売られて貴重な収入になりました。このように牛は重要な家畜だったので、信仰面でも牛に関する様々な行事がおこなわれてきましたが、かくれキリシタン信仰でも多くの行事がおこなわれています。例えば生月島の各農村集落では、集落内の決められた場所をお水(聖水)やオテンペンシャで祓う「野祓い」「野立ち」と呼ばれる行事がかつておこなわれ、祓う場所には集落と牛を放牧する牧野(草原)を結ぶ牛道の道筋が多く含まれまていました。
 壱部集落で正月過ぎにおこなわれた野祓い行事は「マヤ追い出し」(マヤとは牛舎を指す)と呼ばれ、牛をマヤから野山に出した時、悪霊が牛に危害を及ぼさないようにおこなわれました。戸外の決まった場所をお水(聖水)とオテンペンシャを使って祓い、和紙を剣先十字形に切ったオマブリを小竹の管に詰めたものと、煎った大豆をそこに納めました。戸外を回る間、津元にいる者がオラショを唱えていましたが、行事後には津元の家々にオマブリを配り、各家では牛にサツマイモに挟んだオマブリを食べさせました。
  堺目集落では1月6日に、山側を祓う「野立ち」と、集落や耕地を祓う「大構え」という野祓い行事がおこなわれましたが、野立ちでは集落と牧野を結ぶ牛道沿いの大石や大木などが祓う場所でした。祓う時にはキリアメマリアというオラショを唱えながらお水とオテンペンシャで祓い、和紙を剣先十字形に切ったオマブリを納めました。
  山田集落では日草3垣内だけが「野立ち」をおこないました。1月4日に牧野と牛道沿いの数カ所に小竹で作った十字形のオマブリを納めましたが、こうした牛と十字の関係はキリシタンの時代から確認できます。
「本年、日本全国において、また、とりわけこの五島において家畜の大量死が発生した。或るキリシタンらは聖なる純真と信心とにより牛の頸に十字架を吊したり、額に十字の印を付け、或いは聖母の御清めの祝日に聖なる蝋燭を牛の頸に結び付けたが、これらの牛は皆生きていた。近隣の異教徒は自分たちの家畜がことごとく死んだので、そのことに驚嘆した。」〔1567年、バウティスタの書簡〕
 オマブリの形である剣先十字はヨーロッパのキリスト教徒の中でも魔除けの記号として用いられていますが、煎り大豆も節分の豆まきに使われたように、日本では魔除けに用いられてきました。なお生月島や平戸島では、かくれキリシタン信仰と並存してきた仏教や神道には牧野や牛道を祓う行事は存在しませんが、ヨーロッパのアルプス地域では、春、家畜を牧草地に連れ出す時期に聖水を用いて牧草地を祝福する行事がおこなわれ、フランスでも1月17日の聖アントニウスの日に、多くの村で家畜の無病を司祭が祈る行事がおこなわれていました(踊共二氏「生活者の信仰」)。野祓いは、ヨーロッパでおこなわれていた家畜や牧野に対する行事が、日本のキリシタン信仰に導入された可能性が高いと考えます。                            (2021年2月)

 




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