生月学講座No.212「ラファエロとお掛け絵」
- 2021/02/27 09:45
- カテゴリー:生月学講座
生月学講座:ラファエロとお掛け絵
(令和3年)2月21日に五島市で世界文化遺産登録2周年記念講演がおこなわれ、東京大学大学院の岡美穂子先生が、神奈川県大磯町にある澤田美喜記念館に所蔵されている資料「ご聖体の連祷と黙想の図」について報告されました。同資料は横長の和紙で作られ、同じ虫食いの跡が一定距離で確認できる事から巻物の体裁と思われますが、それに線画の聖母子図、聖母の生涯を15の場面で紹介した線画の十五玄義図(横に並べている)、それと「聖体の連祷」のラテン語文句が平仮名で記されています。
岡先生はこの聖母子図の構図が、1513~4年頃にイタリア・ルネサンスの巨匠・ラファエロが描いた「システィーナの聖母」を元にしている事を確認され、同資料がキリシタン時代の日本で制作されたものだと主張されていますが、これについては美術史家の方からの反論もあるようです。聖母子図を見ると、右抱きした幼子、頭に被ったヴェールが風で(聖母の)左に膨らんでいる所、服の右裾が浅く弓なりに膨らみ、左裾が外側に開いているなどの特徴が「システィーナの聖母」と同じですが、顔はシンプルな線書きで日本人女性のような表情をしています。全体にシンプルですがデッサンは確かで、あまりにもバランスが取れているので近代の偽作の疑いが払拭できない程なのですが、仮にキリシタン時代のものだとした場合、西洋人が作者なら顔はやはり西洋の婦人になったと思われるので、日本人が作者の可能性があります。ただキリシタンの聖画は基本的にヨーロッパで描かれた聖画の銅版画になったものが日本に持ち込まれて原画になったと考えられていますが、ラファエロの「システィーナの聖母」の版画は確認されていないそうです。
澤田美喜さんの伝記によると、同資料は澤田さんが生月島を訪れた時、戦争で夫を亡くした婦人から預かったものだとされているそうです。確かに昭和32年(1957)6月に澤田さんの一行は生月島を訪れ、かくれキリシタンの御神体や聖地を見学していますが、その際に何らかの信仰具が澤田さんに贈られたという話は確認できていません。信仰具が津元・垣内などの組の品物の場合、個人の一存で外部者に渡す事は難しいと思われますが、個人所有の信仰具ならば可能性は無い訳ではありません。
少し気になるのは、生月島に伝わるお掛け絵の聖母子像の中にも「システィーナの聖母」と共通するディテールが確認できる事です。壱部の村瀬家が所有していた聖母子像は、同家が他出する時カトリック教会に寄贈され、その後黒瀬ノ辻の祈念碑下の礼拝堂に祀られましたが、同図の裾のあり方は良く似ていて、幼子も右抱きですが、聖母が着物で胸をはだけている点は大きく異なります。また山田3垣内の御前様のモティーフは「聖母被昇天」ですが、最も古い隠居の中央の聖母子像は、幼子右抱きで左の裾を突き出し、「ひれ」を左側になびかせた表現がヴェールを膨らませた表現と通じる所があります。これらのディテールが他の聖画にもないか確認する必要はありますが、注意すべき点だと思います。
他方、同資料に記された「聖体の連祷」は生月島のオラショには伝わっていません(伝わっているのは「聖母の連祷」)。聖体の連祷や十五玄義図は大正時代に大阪茨木のかくれキリシタンの家で見つかっていますが、同資料が、茨木の情報やラファエロの絵を参考にして作られた偽資料の可能性も、現時点では否定し切れないのです。