長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No.213ハビトゥス概念を援用したキリシタン理解

生月学講座:ハビトゥス概念を援用したキリシタン理解

昨年末、フランスの社会学者・ブルデューが著した『ディスタンクシオン』の解説がEテレの「100分de名著」であったので、視聴した所、大変面白かったので、テキストや『ディスタンクシオン』を取り寄せて読んでみました。それというのもブルデューが用いた概念である「ハビトゥス」が、キリシタン信仰の理解にも大いに役立つと思ったからです。ちなみにハビトゥス(界)とは、人は育った環境によって文化的志向が規定されるという捉え方です。
 宗教は、文化的には人間を含めたシンボリックな存在を崇拝の対象(神)とし、その対象に関する物語(神話)を有し、その神話によって導き出された規則(教え)を守り、神を対象として神話にちなみ、教えに則った儀礼をおこなうものと捉えられます。このように対象、物語、規則、儀礼は宗教を構成している4大要素です。また社会的には、対象の守護、物語の保存・発展、規則の管理、儀式の維持と創造などに関与する専業宗教者と、対象と物語を信じ、規則を受け入れ、儀式に参加する一般信者という大きな二つの区分があり、経済的な部分では、一般信者は専ら宗教に必要な資金を拠出し、専業宗教者はそれを活用して組織や施設を維持して儀礼を執行します。ちなみに(禁教時代のいわゆる潜伏キリシタンを含めた)かくれキリシタン信仰は、宗教の社会的側面では専業宗教者が欠落した不完全な形態だと言えます。
 従来のかくれキリシタン理解の問題の一つは、(日本に伝播した形態であるキリシタンも含めた)カトリック信者はすべからく一個の共通の存在と認識されてきた事にも起因している事です。実際には専業宗教者や一部知識層の信者の宗教に対する認識と、一般信者の認識には大きな差違があり、その差違は各層のハビトゥス(界)が持つ認識差に起因しているのですが、大まかに言って、前者では物語や規則に対する認識の割合が高く、後者では率直な対象への尊崇と儀礼に対する認識の割合が高い所があります。そのどちらもまごう事無いカトリック(キリシタン)のあり方なのですが、従来のかくれキリシタンやキリシタンをめぐる議論の中では、どちらかというと前者に重点を置いた主張がなされてきたため、議論が噛み合わない状態が続いてきました。
 その原因としては、キリシタンやかくれキリシタンを研究する研究者も、特有のハビトゥスの思考志向に拠っている傾向を有しているからに他なりません。彼らの多くはキリスト教徒の高学歴知識層に属し、教義の絶対性の担保を前提とした上で研究をおこなってきた点では、専業宗教者と近いハビトゥスに属している存在だと言えます。それゆえキリシタン、かくれキリシタンを、教義の側から捉えようとする傾向が強い事は否めません。しかしそれでは一般信者のキリシタン信仰のあり方や、それを元に一般信者のみによって継承されてきたかくれキリシタン信仰についての本質的な理解は難しいのです。
 私は他の地域の調査などで、四季の移ろいで営まれる生業や生活の中で、様々な宗教が儀礼を呈示し、住民がそれに参加するのを日常的に見てきたので、かくれキリシタン信仰の農耕儀礼や年忌儀礼も違和感なく受け入れる事ができましたが、今後は自らも含め、研究者が拠って立つハビトゥスも意識しながら議論する必要があると思った次第です。




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