長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No.217・河童は神か妖怪か(その2)

生月学講座・河童は神か妖怪か(その2)

 

  河童と親密な関係にあるのが、ため池と用水路の管理を担っている水番です。水番は、稲作のために水が必要となる田植えの前頃から、稲刈り前で水の必要がなくなるまでの間、ため池の水を利用する水田の所有者が組織した土地改良区に雇われて、ため池から必要な量の水を流したり、用水路を日々見回って堰を開け閉めして、水田にまんべんなく水が行き渡るようにしています。

 水番はため池に関する祭にも関与します。元触では、水番が最初にユビ(井樋)の栓を抜くユビヌキの時に、オゴク(御飯)や御神酒を池の中に投じ、水難避けの呪文を唱えています。また池が満水になった時や、秋に水を止めるイケドメの時にも、御神酒とスルメをため池に供え、感謝の言葉を言います。

 ため池に関する最も重要な祭が池祭です。壱部、堺目、元触では夏の土用前後に行われ、水番と改良区の役員、区長が参加します。堰堤の上に竹棚を設けて、団子、シトギ(米粉を練って丸めたただけの団子)、オゴク(御飯)、スルメやイリコ、御神酒を供え、神主が祝詞を唱えます。竹棚には、水分神(みくまりのかみ)、鳴雷神(なるいかづちのかみ)、水波能売神(みづはのめのかみ)、久比奢持神(くいざもちのかみ)などの神道の神様の名前を記した紙旗が付けられているので、基本的にはこれらの神様に対して行われる神事なのですが、行事の中で水番は、池の中に向けて皿一杯の団子を放っていて、それは河童への供物だとされています。

 河童と水番の関係は深く、水番以外は「様」付けで河童を呼ばなければなりませんが、水番だけはぞんざいな物言いが出来ます。しかし水番が河童に対する行事を怠ると病気になったりするそうです。また河童はしばしば水番に付いて家まで来ると言われ、夕刻、水番が水見から家に帰った時、気配で河童が付いてきているのを感じる時には、カドグチ(屋敷地の入り口)から大声でカカ(妻)を呼び、塩を持って来させて、塩を撒いて退散させるそうです。また家の戸板が風も無いのにがたがた鳴る時には、水番が外に向かって酒をたらして、河童に池に帰るように諭す事があるといいます。

 河童は牛に悪さをする事を好むので、牛を飼っている家は水番になるのを嫌がり、それが水番のなり手が見つからない理由にもなっています。牛のお産の時には河童が家に近寄らないよう周囲に塩を撒き、お産の後3日くらいは水番でない家でもカワ(湧水)・川・海に行くのを避けるそうです。なお水番は黒不浄を殊に忌み、たとえ親戚でも葬式に出るのは避けるそうですが、河童は仏壇の下がりものの供物には決して手をつけないそうです。

  なお大正時代に島内に出来た大型ため池には、猿の石像がよく祀られています。昔はため池の水を流す際、ユビ(井樋)に付いた木の栓を抜きましたが、その際に渦ができ、水番が足を吸い込まれて溺れる事故が起きた事があるそうで、それを河童の仕業と考え、河童の天敵とされる猿の像を祀り、河童の威力を封じる事を願ったそうです。

 水番の意識からは河童への尊崇が強く感じられますが、同時に畏れも感じられ、こうした様相には古い時代の水の神に対する意識が継承されていると考えられます。

 




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