長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No219:かくれキリシタン研究史の意義

生月学講座:かくれキリシタン研究史の意義

 

  今年6月18日に開催された、生月島居住の老人の皆さんを対象とした公民館の事業「いきいきクラブ」の中で、かくれキリシタン(かくれ信仰・信者)の研究史について話をさせていただきました。市民向けの講座では普通、専門的になり過ぎないようにし、分かりやすさを心掛けるのですが、今回はテーマ自体が専門的だった事もあって堅苦しい内容になってしまい、申し訳無く思いました。

 しかし今回は敢えて、このテーマで島民の方々にお話しておかねばと思った所もあります。退職まであと1年余りとなり、かくれ信仰や信者についてどれだけの事が分かったのかを、これまで情報収集などで御協力いただき、またもともとの雇い主(旧生月町民)でもある生月島の皆さんに報告しておく義務があると思ったからです。同じくかくれ信仰について扱う場合でも、行事や信仰具、オラショなどの具体的な内容ならば、聴かれる皆さんの中に実際に経験された方も居られて分かりやすい所もあるのですが、研究史などは触れる機会が少ない分、難解と思われたのではないかと思います。

 しかしこれまでの研究が、島民の皆さんが継承してきたかくれ信仰の外部イメージを規定してきた点で、間接的に様々な影響があったのも事実です。たとえばテレビの報道でかくれ信仰が取り上げられる場合、取材者はまず研究書などを読んでイメージや関心を持ち、それに従って番組を構成し、ナレーションやキャプションの解説を準備します。そのため研究書の見解が実体と離れていると、番組のイメージも実体とずれてしまい、出来上がった番組を見た時、信者の方が違和感を覚えた事もよくあったのです。

 従来の研究で特に問題となったのが、かくれ信者が奉じる信仰が全てかくれ信仰に関係する形で扱われた上で、かくれ信仰を禁教時代の専業宗教家(宣教師)の不在によって変容したものと捉える禁教期変容論でした。この見解によって、かくれ信仰が戦国から江戸時代初期にかけて形作られたキリシタン信仰の内容をよく保存しているという本質的な価値は、見落とされたり軽視されがちになりました。さらに禁教期変容論を根拠として、かくれ信仰の存在が観察や史料で確認されない地域でも、実在するかくれ信仰とは異なる変容が起きたため、異形の石造物や記号が残されたのだという根拠無き主張がなされるようになり、そうした「虚構のかくれキリシタン」の存在がかくれ信仰の全体像を混乱させ、場合によっては実在する生月島などのかくれ信仰の学術的価値まで下げる事にもなってきたのです。また禁教期変容論は文学にも影響を与えていますが、それをベースに書かれた小説を読んだ多くの読者に、かくれ信仰・信者についての誤ったイメージを広める事にもなりました。

  しかし私が打ち立てた、16世紀中頃から17世紀初頭にかけて同地で成立したキリシタン信仰の形態を、神道や仏教を並存させる形を取る中で、かなり忠実に残してきたというかくれ信仰についての見解も、今までの研究を踏まえた上で、それを批判的に検証する中で到った成果であり、先行研究が無ければ決して辿り着く事は出来なかったのは確かです。そして私のこの見解も、研究史という流れの中では通過点であり、今後の研究の踏み台に過ぎない事を自覚しながら、前に進んでいきたいと思います。

 




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