長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No220:豊作祈願の聖人

生月学講座:豊作祈願の聖人

 

 令和3年(2021)3月、生月島壱部で新たなお掛け絵が発見されました。壱部の農家で暮らす高齢の御婦人から、代々家で祀ってきたお神様が今後粗末になるのが心配なので、島の館に寄贈したいという連絡をいただいたので、金子館長と中園学芸員がお訪ねして、かくれキリシタン信仰や神道、仏教に関係する信仰具をお預かりしてきました。

 かくれキリシタン信仰に関係する信仰具は、座敷の奥壁の上段に設けた作りつけの棚に収められていました。表からは小さな木箱のオコクラ(祠)に収めたお水瓶が見えているだけでしたが、それを下ろすと奥にもう一つ大きな黒い木箱がありました。婦人の話では、昔からあるが開けた事はないという事で、箱も古くて底が抜けている状態だったので、何とか取り出して、他の資料とともに館に持ち帰って、掃除しながら中身を確認したところ、大きい木箱の中からお掛け絵が見つかりました。

 お掛け絵のモティーフは、長髪の男性の下に二俵の米俵が描かれているという特異なものでした。十字などのキリスト教を特徴付ける要素は見られませんが、お水瓶などのかくれ信仰の信仰具と一緒に祀られていた事と、顔の表現や帯の結び方などの特徴が壱部集落に伝わっている聖母子像(びわの首津元御前様)などと共通する事から、かくれキリシタン信仰の信仰具(お掛け絵)と判断しました。

 描かれている人物は、長髪などの特徴が洗礼者ヨハネを描いたと思われる壱部浦I家所蔵のお掛け絵と共通する事から、キリスト教の聖人「洗礼者ヨハネ」である可能性を考えています。ちなみにI家の図を洗礼者ヨハネの図とする根拠は、人物が洗礼の際に用いる聖水を入れたお水瓶を持っていたからです。最大の疑問は米俵が描かれている事で、これは明らかに豊作の期待という意識を表していると思われます。従来生月島で確認されたかくれ信仰のお掛け絵は、姿は和装であっても、基本的な構図はヨーロッパのキリスト教絵画を踏襲しており、今回のように現世利益が前面に現れた構図は確認されていません。なお聖人の横に添えられた草花は葉の形からオモダカと思われますが、この草は田や沼地など水辺を好む植物のため、稲作や水との関係を暗示する表象だと考えられます。

 生月島の東沖にある中江ノ島は、かくれ信者から「サンジョワン(洗礼者ヨハネ)様」と呼ばれ、山田集落のかくれ信者は、かつて初夏と秋に御爺役と親父役が中江ノ島に渡って聖水を採取する「風止めの願立て」「風止めの願成就」行事を行っていました。稲に害をなす大風を避ける祈願とそのお礼のための行事でしたが、風による稲の受粉や実落ちを避ける意味があると思われます。この行事では稲作とサンジョワン(洗礼者ヨハネ)との関係が認められますが、戦国~江戸時代初期のキリシタン信仰において洗礼者ヨハネが作神として信心された可能性が想像され、今回の聖人図もそれを裏付ける資料です。

 ヨーロッパという異質の風土で形成されたカトリックという信仰を日本の風土の中に根付かせるためには適応化は不可欠でした。生月島ではそれが上手くいったため、禁教になっても他の宗教を並存する形を取りながら、キリシタン信仰を継続した事が考えられます。今回発見された俵を描いた聖人のお掛け絵は、日本におけるカトリック信仰の適応化(土着化)の一端を窺い知る事ができる貴重な資料だと考えます。

 




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