生月学講座No.222:ダンジク様の遊歩道
- 2021/12/28 17:10
生月学講座:ダンジク様の遊歩道
生月島南西海岸にある聖地「ダンジク様」は、生月島のかくれキリシタン信者の聖地として信仰の対象となってきました。地元に伝わる伝説では、夫婦と男の子1人からなるキリシタンの家族が弾圧を逃れて海岸のダンジク(暖竹)の茂みに隠れたところ、海岸で遊んでいた男の子が船で捜索に来た役人に見つかり全員処刑されたとされ、茂みの中にその家族が祀られています。なお見つかった経緯からダンジク様に船で参拝する事はタブーとされ、聖地がある浜に船を着けても嵐になると言われています。山田集落や舘浦集落にはかつてダンジク様を祀る講が複数存在し、1月16日の祭日(命日)には日草のダンジク講が現地でオラショを唱える行事を行った他、他のダンジク講でもその日に聖地を参拝したり、親子三人を描いたお掛け絵を飾って行事を行ってきました。
ダンジク様についての記述は、昭和29年(1954)に田北耕也氏が著した『昭和時代の潜伏キリシタン』に書かれていて、そのなかで田北氏は昭和6年(1931)にダンジク様を訪ねるため船を雇おうとして断られたり、歩いてダンジク様に向かう際、徴兵された若者が親族と無事の帰還を祈願するためダンジク様参拝をするのに遭遇しています。
昭和32年(1957)6月には、澤田美喜女史の一行がかくれキリシタン信仰についての知識を得るため生月島を訪れ、ダンジク様も訪ねています。その時の様子が写真に残っていますが、草が生えた急斜面を杖に掴まりながら海岸まで苦心して下りる様子が写っています。古老からの聞き取りでも、もともとダンジク様に下りる斜面には道や階段などはなかったそうです。
ダンジク様は昭和46年(1971)生月町の史跡に指定されますが、その後観光客が訪問できるように、町がコンクリート敷きの遊歩道と斜面をジグザグに降りる階段を整備しています。遊歩道と階段の掃除は日草ダンジク講の信者が祭の前に行っていましたが、もと草原だった斜面には次第に雑木が生え、成長して林になったので、道掃除の際には木に太いロープを張って手すりを整備していました。その後、洪水でダンジク様の石祠などが流された時には、生月町によってダンジク様周辺の復旧整備が行われ、維持管理が大変だったロープの手摺りも、町によってステンレス製にする工事が行われています。
平成17年(2005)には生月町を含む4市町村が合併して平戸市が発足しますが、それに伴いダンジク様は新たな平戸市の史跡になります。しかしダンジク様に向かう急斜面では時折、豪雨による被害が起きています。平成28年(2016)秋の台風では落石が起き、海岸付近の手すりに大石が引っかかって遊歩道が塞がれています。この時は手すりの一部を切断して海岸に仮設路を設置した後、平成30年(2018)春に市が予算を確保し石の撤去を行っていますが、その間にダンジク様を見学したノンフィクションライター広野真嗣氏が『消された信仰』の中で復旧の遅れを指摘しています。
令和3年(2021)夏にも豪雨で斜面の途中の遊歩道が流される被害が起き、通行止めとなる被害が生じています。急斜面の地形では落石や土砂崩れはごく自然な状況ですが、あまり強固な補強をすると景観を壊す事になるので、見学者の安全と造り過ぎないバランスとを考えながら復旧の形を検討しながら進めている所です。