長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No.227:カンダラとガンドウ

生月学講座:カンダラとガンドウ

 

 生月島には「壱州トンビに大島ガラス、生月ガンドウにゃ物言うな」という諺が伝わっています。以前は単に各島の住民の気質を比較した諺のように思っていたのですが、捕鯨についての研究が進む中で、背景のようなものが見えてきました。

 佐賀県の呼子(小川島)漁場の捕鯨の様子を紹介した安永2年(1773)制作の捕鯨図説『小児の弄鯨一件の巻』(『肥前国(州)産物図考』)の「納屋場」図  には、納屋場前の渚(捌場)に頭付けされた鯨を解体する様子と共に、渚伝いに取手付きのテボ(竹籠)を下げて鯨に近づく婦人が描かれていて、なかには番人に襟を掴まれたり、棒を振り上げた番人に追われている人もいます。鯨の右側で転んだ婦人の横には「俗ニ/カンタラト云鯨/盗人ノ事也」という記述があり、鯨の左側の番人に追われる婦人の横にも「かんたら」の表記があります。

 生月島の鯨組主・益冨又左衛門が天保3年(1832)に制作した捕鯨図説『勇魚取絵詞』には「此間近里の者濱邊に寄來て、みそかに鯨肉を盗取を間太郎といふ。」という記述があり、「間太郎」の字には「かんだら」という振り仮名が付いています。『小児の弄鯨一件の巻』や前記の『勇魚取絵詞』の記述に登場する「かんだら」は、組関係者でない住民が行う鯨肉盗みですが、『勇魚取絵詞』には大納屋にいる探番という役職の説明に「魚切より兼役して間太郎を改む」という記述がある事から、益冨組では組内の者が行う鯨肉盗みも「かんだら」と呼ばれていた事が分かります。

 「かんだら」の語源ですが、壱岐・箱崎八幡宮の神主・吉野秀政が18世紀中頃に書いたとされる「海鰌図解大成」に紹介された鯨組の役職に「追烏者(カラスヲヒ)」という者があります。定置網の水揚げを見ていると、網からこぼれた魚を烏や鳶が掴んで運び去るのをよく見る事があります。そのため陸地に着いた鯨を少量盗む様子を烏に例えて「烏カン太郎」のような物言いをしたのが、カンダラの語源になった可能性があります。

 一方、呼子の鯨組・中尾組の支配人を務めた藤松甚次郎が書いた「鯨組方一件」には、次のような記述があります。

「一 平戸御領生月組、法令正敷諸事取締方至極致厳敷候故、何方之致組請候而も生月組 者がんどふ組と相唱、浦人共大ニ相憎候」

  この記述から、法令(組掟)に従って(かんだらなどを)厳しく取り締る組は、操業地の住民から「がんどう組」と呼ばれて憎まれた事が分かります。がんどうとは強盗を表す言葉で、自分達の前の海にいる鯨から上がる利益を鯨組が根こそぎ独占し、自分達には殆ど恩恵が無い状況を恨んだ表現だと思われます。

  ここで最初の諺に話を戻すと、壱州(壱岐)と大島はいずれも生月島の益冨組が出漁した捕鯨漁場である事から、出漁先の住民がカンダラ(鯨肉盗み)をしている様子を見て、鳶や烏のようだと皮肉った可能性があります。一方で出漁先の住民は出漁者である鯨組の関係者をガンドウ(強盗)と呼んだのですが、このように益冨組の本拠である生月島と、その出漁先(漁場)である壱岐、大島の住民の対峙的な関係が、「壱州トンビに大島ガラス、生月ガンドウにゃ物言うな」という諺の根底にあると考えられるのです。




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