長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No.229「マリア観音」考

  • 2022/07/28 12:32

生月学講座:「マリア観音」考

 

  禁教時代の潜伏キリシタン信者によるものを含む、かくれキリシタン信仰(以下「かくれ信仰」)の信仰具としては、生月・平戸系かくれ信仰の「お掛け絵」と、外海・浦上系かくれ信仰の「マリア観音」が代表的なものとされています。特に後者は教科書などでもよく写真が紹介されていますが、マリア観音については定義付けや名称、導入時期、外海・浦上系かくれ信仰における位置づけなどで更なる検証が必要な所があります。

  一般にマリア観音だと紹介されているのは、外海・浦上系かくれ信仰で信仰具とされていた事が確認される中国徳化窯製の白磁観音像で、それらは長崎奉行所が安政3年(1856)に起きた浦上三番崩れで逮捕した信者から聴取した名称で、浦上崩れに関する史料や東博の実物資料に付いた付箋で確認できる「ハンタマルヤ」という名称で呼ばれていたようです。ハンタマルヤ像は長崎市北部近郊の浦上、北西部の外海地方、外海から江戸時代後期に移住した信者が分布する五島列島などに分布していますが、浦上のものについては殆どが浦上三番崩れの没収品で、現在は東京国立博物館に収蔵されています。一方、外海や五島のものはかくれ信者が所持していたり、所持していた経歴が確かなものです。これらの徳化窯製白磁観音像以外にも、外海・浦上系かくれ信仰では様々なスタイルの立体像が信仰具として確認できますが、これらもマリア観音の範疇に含まれるものとして紹介される場合があります。また天草下島のかくれ信者も様々な立像を所持していた事が、文化2年(1805)の天草崩れの際の調書から確認できます。

 ただ問題なのはこうした情報を根拠に、天草などでは以前から経歴不明の像がマリア観音として売買されており、近年にもそのような像を多数、行政が購入したり寄贈を受けたりして、かくれキリシタン信仰の資料として紹介される事態が起きている事です。九州では世界遺産を契機として諸分野の研究者の連携が進み、このような虚構系資料の峻別がきちんとされるようになってきていただけに残念な事です。最近刊行された『潜伏キリシタン図譜』でも、同様に経歴不詳で、形態の類似だけで価値付けられたマリア観音とされるものが複数紹介されており、やはり、「マリア観音」という曖昧なカテゴリーは使わないようにした方が良いと思う所があります。

 ハンタマルヤ像(外海・浦上系かくれ信仰で対象とした徳化窯製観音像)については、国内への導入時期と、どのようなものとして外海・浦上系かくれ信仰に受け入れられたのかがまだよく分かっていません。時期の上限が17世紀以降とされるのは、慶長4年(1599)に禁教となった生月・平戸系かくれ信仰では同像の信仰が確認されていないからですが、最近注目すべき研究が発表されました。西南学院大学の宮川由衣さんの「キリシタン伝来のマリア観音の源流をめぐって」によると、18世紀初頭に中国アモイからロンドンに輸出されたものに「Sancta Maria」の記載があり、徳花窯製母子像がヨーロッパに、観音像ではなくマリア像として輸出されていた可能性があるとしています。同じ時期(18世紀初頭の禁教時代)に長崎にも輸出されていたとすると、中国でマリア像として制作されたものが、長崎輸入時には観音像とされた上で浦上や外海のかくれ信者に渡り、再びマリア像として祀られるようになった可能性があるのです。




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