生月学講座№232お掛け絵は「窓」か「偶像」か
- 2022/12/02 09:50
- カテゴリー:生月学講座
生月学講座:お掛け絵は「窓」か「偶像」か
以前、美術史家の宮下規久朗さんから、佐藤優氏との共著『美術は宗教を超えるか』をお送りいただきました。本書ではかくれキリシタンの聖画(お掛け絵)についても触れられていますが、宗教や時代を超えた形で聖画というものの意味についても検証されています。その中で聖画とは、それを通して聖なる存在を感じる「窓」なのか、それ自体が聖なる存在(偶像)なのかが問題だと指摘されていました。キリスト教では、偶像崇拝を否定した教義に則ると、本来的に聖画は「窓」の役割を果たすものです。その場合重要なのは、描かれた存在が何かという点であり、例えば聖母マリアを描いた聖画では、そこに表現された聖母マリアという存在が重要であって、物としての聖画は、あくまでその存在を伝えるための道具(窓)に過ぎない事になります。例えば踏絵もその考えに拠ると、それ自体は単に信仰を目的としない道具に過ぎず、踏んでも問題にはならない事になります。
しかし生月島のかくれキリシタン信仰のお掛け絵の場合は、物体としての聖画自体が信仰対象であって、描かれている対象もろとも「御前様」という固有の存在と認識されています。そのため壱部・岳の下津元の隠居(過去の御前様)のように、出征に際して一部を切り取って持っていき、お守りとする事が行われたりしています。
生月島のお掛け絵の起源は、平戸地方では禁教状態に入ったものの未だ宣教師の宣教が継続していたキリシタン信仰中期後葉(1600年頃)に設立されたと推測される信心会で祀られる聖画として導入されたものが殆どです。絵の要素にキリスト教絵画に由来する様々なモティーフが確認されるので、当初はキリストや聖母マリア、諸聖人を信心する「窓」的役割を果たすために導入されたが、そうしたあり方が禁教に入って無くなっていき「偶像」として信仰されるようになったと考えられてきました。しかし最近の研究で、そうとも言い切れない所も出てきています。
1591年に教皇グレゴリウス14世が発した大赦の布告文では、「いませ(聖画)」その他の信仰具を所持して祈る事で贖宥が与えられるとしています。外海系のかくれ信仰が継承する「るそんのオラショ(オラショの功力)」の内容はその布告文そのもので、日本にもその方針が伝えられていた事が分かります。禁教時代に入ったキリシタン信者が、危険があるにも拘わらず様々な信仰具を持ち続けたのは、その方針に従った事が考えられるのですが、加えて布教当初から信者は、宣教師が持っていたロザリオやメダイなどを欲したり、聖水を神聖視して信仰対象化していた事を宣教師が書き残しており、キリシタン信仰では当初から、偶像的な信仰のあり方があったようです。つまり聖画を含む信仰具は、キリシタン信仰の頃からその存在自体が聖なるもの(偶像)だという意識があったのが、グレゴリウス14世の布告文で裏付けを得たものだと推測されます。
しかしそもそも聖画では、一つの聖なる存在が様々な物語に帰属するキャラクターとして登場しており、例えば聖母マリアも「無原罪の聖母」「セビリヤの聖母」「ルルドの聖母」など様々な属性で紹介されます。こうした認識の仕方を援用すると、個々の祀り手によっても聖なる存在に対してはそれぞれ独自の認識の仕方が存在し、それと結び付く形で個々の聖画が独自の存在として聖性を有したと理解する事も的はずれだとは言えません。