長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座No.237:マツリの効能

生月学講座:マツリの効能

 

 コロナウイルスの流行後、全国で多くの祭やイベントが中止されました。生月島でも初夏に行われていた舘浦競漕船大会(セリブネ)が令和元年以降中止になっていますが、テントブネを所有する舘浦漁協の計らいで、中学生の櫓漕ぎ体験だけは行われています。コロナの影響が少なくなった今年は、祭やイベントの再開が課題となってきます。

 そもそも祭やイベント(ここではマツリという言葉で括ります)は何のために行われるのでしょうか。なかには神社の祭のように宗教の中で行う事が決まっているものもあります。また行政のイベントのように、市民の楽しみや観光客の誘致などのために行われるものもあります。マツリを定義付けするなら、集団が行う、生活と直接関係がなく、経済活動である労働とも本質的には関係していない、関与する人々が物語を共有する機能を持つ活動だと言えます。マツリは、自身が包括する物語を関与者が再確認する機能と、マツリに関与する事で物語が再生産されていく機能を併せ持っています。そのような物語装置としての機能が明確なマツリが、優れたマツリだと言えます。

 昔から海に関係した暮らしを営んできた生月島民は、江戸時代の捕鯨や、明治時代の和船巾着網、テントブネを用いたアゴ二艘引網などで櫓漕ぎを行ってきた歴史があります。セリブネではそのような歴史を身体で経験しながら海と親しむ点で、マツリが持つ物語を再確認できています。また櫓拍子を合わせた無駄の無い漕ぎや、小回りにブイを回る技術を駆使しての、早いタイムへの挑戦やライバルチームとの競争は、チームクルーに共有される物語を生み、会場にいる人々にも共有されていきます。セリブネというマツリは生月島という共同体に取って、独自性を有した優れた物語装置だと言えます。

  友人や恋人、家族という小さな単位から、集落や市町村、さらには国、地球という大きな単位に至るまで、全ての共同体は、所属する構成員によって物語が共有された集団だと捉えられます。反対に同じ場所に複数の人が居たとしても、物語が共有されていなければ、共同体ではなくただの集団に過ぎません。家族にしろ集落にしろ市にしろ、そこに居る者が共同体の構成員である事を前提として様々な活動が展開される事で、構成員の生活に必要な環境が維持されている訳ですが、もし共同体が否定される事になると、共同体の活動は退行して環境の維持は困難となり、構成員の暮らしも成り立たなくなります。例えば個人が市町村や国の不備を批判する場合、市町村や国という共同体が当然のように存在する事を前提としています。しかしかりにその批判者をはじめ多くの人が対象共同体の構成員である事を放棄している場合には、当然ながら共同体の活動の衰退や、共同体の環境の悪化を批判する立場には無い事になります。自らが共同体とは無関係の立場を取る事は、共同体の存在自体を否定している事に他ならず、それは共同体からの恩恵が得られない可能性を自ら認めている事になります。

 マツリは単なるお金の浪費と思われる事が多いのですが、物語を共有する機能を持つマツリは、共同体を維持するために大変重要な役割を果たしています。行政もマツリのその機能を重視して、地域のマツリの支援や、共同体の枠組みを意識したマツリのコーディネートや実施に意を払う必要があると思います。(2023.4 中園成生)




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