長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:羽指踊り唄の砧踊り唄文句

   今年度(令和5年度)、生月島に伝わる鯨唄「生月勇魚捕唄」を長崎県指定にという要望が地元からあった事を受け、平戸市は県の学芸文化課と協議を行い、県文化財保護審議会委員の視察を実施するなど手続きを進めてきました。その中で生月勇魚捕唄の価値付けを行う過程で新たに判ってきた事もありました。

 生月勇魚捕唄は一番から七番までの唄と「大漁唄」「つもりわけ唄」「さかな唄」「尺八節」「羽指踊唄」などで構成されますが、その中の「羽指踊唄」は座唄(祝いの席で歌われる唄)では披露される事が無い唄でした。羽指(ハザシ)踊りは鯨組が「組出し(漁期始め)」、正月頃、「組上がり(漁期の終わり)」に行った行事で、『勇魚取絵詞』「生月御崎納屋場羽指踊図」には、益冨・御崎組で羽指達が上衣を脱ぎ環状に並び、中央に据えた二丁の締太鼓に合わせて歌い踊る様子が描かれています。羽指踊唄はその際に歌われた唄ですが、明治24年(1891)4月15日調べ「生月御崎組羽差踊鯨唄」に記された鯨唄のうち「二度目踊り初メ」の歌詞は、こんにちの羽指踊唄と構成は概ね同じですが歌詞の種類が多く、かつてはその時々の状況で歌詞を増減させていたものと思われます。

   勇魚捕唄の羽指踊唄と同じ歌詞は、寛政8年(1796)制作の呼子・小川島系捕鯨図説『鯨魚覧笑録』に紹介された鯨唄や、有川鯨唄の「生唄(はざし唄)」でも確認できますが、これらで共通する歌詞に「砧踊り」の文句があります。生月の羽指踊唄では「明日は吉日キー金太打つ/金太ヤー踊りは面白や/淀のよそえのみーソリャ水車/お方ヤー姫御は寝ておじゃる/金太ヤー踊は面白や」と、「金太」とされていますが、『鯨魚覧笑録』では「明日は吉日砧打つ/おかた姫子も出てうちやれ/砧踊はおんもしろや/猶も砧のおもしろや/天の星さへよはいめす/羽差よはひはとかもなし/砧踊はおんもしろや/尚もきぬたのおもしろや」と、「砧」と記されています。紀州太地の鯨唄の「綾踊り(砧踊り)歌」では、前段で「明日は吉日砧打ち(再)/おかた姫子も出て見やれ」「なにをさしたる枕やら(再)/宵と夜中に目を覚ます」「背美がはらんで産めばこそ(再)/沖にお背美がたえやらん」「お背美子持ちを突きおいて(再)/春は参ろぞ伊勢様へ」「伊勢の要田で吹く笛は(再)/ひびき渡るよ宮川へ」「面白いぞえ笛の音は(再)/さすりゃ都の竹じゃもの」「淀の川瀬の水車(再)/だれを待つやらくるくると」などと歌われ、各後段に「きぬた踊りは面白や/なおもきぬたは面白や」が付いています。この太地の砧踊りは近世初頭に流行した砧踊りの音曲が継承されたものと思われますが、生月島の東隣にある度島で行われる盆行事「盆ごうれい」の奴踊り唄の一つ「きぬた踊り」にも、「明日は吉日砧打つ(再)/お方姫じょは出ておじゃれ/砧踊りは面白や/なおも砧踊りは面白や」「誰とさいたる枕やら(再)/夜中夜中に目を覚ます/砧踊りは面白や/なおも砧踊りは面白や」という歌詞が伝わっています。

 1つの可能性として、17世紀に西海漁場に紀州系突組や羽指が出漁するのに伴って砧踊り唄が伝播し、18世紀以降の網組で羽指踊り唄の一部として残った事が考えられるのですが、他の芸能や行事に関係して伝播した可能性もあり、砧踊りや唄に関係する民俗芸能や文献記録の事例をさらに集めていく必要があります。        (中園成生)




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