長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:長瀬崎防備衛所と有村大尉

(令和6年)2月11日の昼過ぎ、ロードレース大会の手伝いが終わって「島の館」で昼食を取っていた私は不意の来客を受けました。お出でになったのは東京からお越しの鈴木さんご夫妻で、奥様の曾祖父にあたる有村金蔵さんの足跡を訪ねて生月島に来られたとの事でした。有村金蔵さんは太平洋戦争の終わり頃、生月島南西部の長瀬鼻にあった海軍の長瀬崎防備衛所の衛所長を務めた方で、私はかつて旧生月町の『広報生月』の連載や、生月町文化協会の会報『潮路』第22号(2003年)、博物館報『島の館だより』25号(特集「戦争の記憶」、2021年)などに長瀬崎防備衛所の聞き取り内容を掲載し、その中で有村大尉の事を紹介していました。ご夫妻は来島時、「島の館」のホームページで有村大尉の記事の事を知って来られたのです。
  ご夫妻から、有村金蔵さんは明治18年(1885)鹿児島県の生まれで、19歳の時、甲板員として防護巡洋艦「秋津洲」に乗り組んで日露戦争の日本海海戦を経験され、大正13年頃には台湾海峡にある澎湖島の馬公にあった海軍基地に勤務され、昭和12年(1937)に特務中尉の階級で現役を退かれた事を伺いました。おそらくは予備役に編入されたと思われますが、その後再度、軍務に復帰され、最終的に長瀬崎防備衛所の衛所長として勤務されたようです。
  ご夫妻の目的が有村大尉の足跡を辿る事だとすると、大尉が勤務された長瀬崎防備衛所跡に行かれる事を希望されると思いましたが、私は防備衛所の遺構について少し不案内だったので、平戸市内の戦争遺構を積極的に調査されている田中まきこさんに連絡して事情を説明し、これから現地を案内して貰えないだろうかと相談しました。無理な相談だったのですが、田中さんから「今の用事が片づいたらOK」と有り難い返事をいただき、3時過ぎからご夫婦を伴って長瀬崎防備衛所跡を訪ねる事となりました。
  防備衛所の主要な施設は見張り所でしたが、この建物の遺構は灯台を作る際に破壊されたようで現在は残っていません。まきこさんが確認されていたのは、灯台に上る道路の付け根にある駐車場の東北側山中に残っていた、防備衛所に勤務する兵隊達が起居した兵舎の跡でした。私も兵舎の存在は聞き取りの際に聞いていたのですが、駐車場より先に延びた道路の下付近にあると想定して捜索したものの発見できず、木造だったので朽ちて無くなってしまったのだと思っていました。しかし今回、田中さんの案内で現地に行くと、駐車場手前の道路の上に広く造成された敷地があり、そこにコンクリートの建物土台が残っていました。土台から兵舎は東西に長い建物である事が分かり、東北の隅には便所の遺構が確認できました。聞き取りでは兵舎の中央には東西に貫通する通路があり、左右に兵員がハンモックを吊して寝る空間があり、西の端には士官室と衛所長(有村大尉)の部屋が設けられていたとありましたが、それらの痕跡も確認できました。
  兵舎の東側には5㍍ほど離れ、竈や風呂と思しき煉瓦造りの遺構を持つ建物跡が確認され、厨房や風呂が別棟で存在した状況が確認できましたが、聞き取りでは兵舎と一体だと認識していました。また建物跡の背後の斜面には地下壕が確認できますが、潜水艦の聴音機の設置場所や、防空壕、弾薬庫として利用した事が想定されます。ご夫妻も、曾祖父が勤務された場所を実際に訪ねる事が叶って満足されたようでした。(中園成生)




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