長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:キリシタンの先祖供養2 年忌

生月学講座:キリシタンの先祖供養2 年忌

 キリシタン信仰では死者の月における供養が行われる一方で、仏教の法事のように死者の命日にキリシタン信仰の行事が行われた事が、イエズス会が作成した次の「服務規程」の記載から確認できます。
 「死者の命日は、でき得れば歌ミサできわめて盛大に行なうこと。特に主要な修院ではそうである。小住院では通常ミサで行ない、ある種の棺台を作ること。(略)ミサ終了後、墓地へ行列を行ない、パードレはミゼレレあるいはデ・プロフンディスを誦えること。パードレは墓地に着くと、定式書記載の祈りを誦え、死者の墓に水を注いで香を撒き、最後に死者の霊魂のために主祷文を三度、天使祝詞を三度、大声で全会衆に誦えさせること。」(『キリシタンの文化』)
 実際に「一六〇一年度日本年報」には、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の戦いの際、西軍方の人質になるのを拒否して死んだ細川ガラシャの一周忌を、細川忠興の依頼を受けたイエズス会宣教師が豊前において盛大に挙行した記述があります。
 生月島壱部では、葬式当日の僧侶の法要の後、葬家で三日参りのオラショとして一通りのゴショウ(オラッシャ無し)と長座が唱えられ、七日目の「壇上げ」にも一通りと長座が唱えられました。また葬家から所属する津元の御前様に死者の着物と帯が上げられ、親父役は壇上げの日まで毎日六巻を唱えました。「第一の法事」と呼ばれる三十五日や百カ日にも一通りと長座が唱えられました。なお法事で唱える一通りの際にオラッシャ(唄オラショ)を唱えるのは、死後、最初のオトブライ行事が済んだ後からです。
 一周忌以後、死者の命日にはゴショウが唱えられますが、1、3、7、13、17年忌には一通りと長座を唱え、25、33年忌には一通りを唱え、49年のテオサメには一通りと長座が唱えられました。また「立ち日」と呼ばれる月命日にも六巻が唱えられました。
 このような仏教の年忌(法事)のような死後供養の行事は、外海、五島、天草など各地のかくれキリシタン信仰で確認されており、いずれもオラショを唱える形で行われています。こうした年忌行事の起源を禁教時代に導入されたカモフラージュだとするなら、僧侶が読経を行う仏式の法事を行えば済む訳で、わざわざオラショを唱える必要はありません。こうした状況は、年忌がキリシタン信仰の中で普遍的に行われていた事を示唆しています。死後儀礼としては、前に取り上げた御弔いの行事がある訳ですが、かくれキリシタン信仰の中でこの行事を行っているのは生月島だけで、ここでは御弔い型と年忌型の両方の死後儀礼が行われている事になります。仮説ですが、キリシタン信仰では当初、御弔い型の死後儀礼が導入され、その後、仏教の作法に倣って年忌型の死後儀礼が導入されますが、それによって御弔い型が行われなくなった地域もあったのではないかと考えています。
 なお生月島のかくれ信仰では、家が絶えて死後供養をされなくなった魂の事を「跡無しアニマ」と呼び、例えば堺目の津元行事として春に行われている「末七度」は、そうした跡無しアニマを供養する行事だとされています。このように仏教で言うところの無縁仏に相当する魂に対する配慮も、キリシタン信仰当時からの要素と考えられます。
(2017年12月 中園成生)




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