長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:鯨とエビス

生月学講座:鯨とエビス

 生月島の白山神社の本殿の右脇には、様々な神様を祀った石祠が並んでいますが、その一つに恵比須様の座像が祀られています。各地の漁港に祀られている恵比須像と同じく、右手は釣竿を持つ形で(竿自体は笹竹を差し込んだようです)、お腹の前に大きな鯛を左手で抱え込んでいますが、鯛の尾鰭の下には、もう一つ尾のようなものが刻まれているのが見て取れます。また左腕の下には長い口のようなものもあり、詳しく見るとそれらは鯨の一部である事が分かります。さらにその鯨の脇には、網の模様や船が刻まれていて、江戸時代から明治時代にかけて生月島でも行われていた、網掛突取法による捕鯨の様子が刻まれている事が確認できます。このように鯨が刻まれた恵比須像というのは全国的にも珍しく、白山神社以外では、佐賀県唐津市神集島の、明治時代に鯨定置網が行われていた場所に祀られている、鯨に乗った恵美須様の石像があるくらいです。
 壱部浦に伝わる話では、この恵比須像はもともと御崎浦の鯨組の納屋場にあった神社(現・岬神社)に祀られていたそうです。現在も岬神社に残る石祠には、屋根に益冨組の紋である「重ね枡」と、益冨組の鯨船の水押に印された四角の中に丸の船印が刻まれています。御崎浦の納屋場は、益冨組が拠点を舘浦から移した享保14年(1729)から使われ始め、益冨家が明治7年(1873)に捕鯨業から撤退した後も、様々な捕鯨会社が運営する形で明治30年代まで使用されましたが、捕鯨終了後は建物は次第に壊れ、山の斜面にあった神社も森の中に埋もれていきました。
 伝承では、捕鯨が行われなくなって暫くした頃、壱部浦のある人の夢枕に神様が現れ、「私は御崎浦に祀られている神だが、今は森に埋もれて詣る人も居ない。自分を救い出して欲しい」と告げたそうです。その人が森の中に分け入ったところ神社の跡があり、恵比須像がそこにありました。その人は像を持ち帰り、暫く自宅で祀っていましたが、その後そうした像は神社で祀って貰うのが良いと考え、白山神社に合祀して貰ったそうです。
 この御崎浦の恵比須様にまつわる信仰の事が、大正11年(1922)に中山太郎が書いた「ゑびす神異考」という論文に、次のように紹介されています。
 「肥前国北松浦郡生月村にては、鯨を捕獲したるとき其胎内に子鯨ある場合は之を棄てず、ゑびす神社(神社として社殿はなく、石の祠を造り祭るなり)の近傍に埋葬す。但し此ゑびす神社は海岸に斎きある総ての社にては無く、捕鯨事業場の解剖地のゑびす神社境内に限るなり」。ちなみにこの内容の報告者は、益冨要一郎氏だとされています。
 このように、雌鯨の解体の際に胎児鯨が出てくると、納屋場の恵比須様の下に埋める習俗があったとされているのですが、そうすると恵比須様の力で直ぐにあの世に戻り、生まれ変わってくると考えられていたようです。
 なお壱部浦にある益冨家の居宅には、恵比須様を祭神とする神社が屋敷神として祀られており、益冨家が所有する掛軸の中にも、親子の鯨を釣り上げる恵比須様の図があります。恵比須様が持つ属性は、漁民が対象とする漁獲物によって様々に変わりますが、捕鯨関係者の中では、恵比須様は、鯨を人間にもたらしたり、あの世に鯨の魂を戻す役割を行う神様と認識されていたようです。
(2018年4月 中園成生)




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