長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:積石工ふたたび

先月号の生月学講座で積石工を取り上げた際、技術はもう失われてしまったという悲観的な書き方をしてしまったのですが、これに目を通された方々から「生月の積石工の技術は今だ健在なのにけしからん」というお叱りの電話をいただきました。早速伺ってお詫びを申し上げると共に、積石技術に詳しい元触の山口春一さんを紹介していただき、お話を伺う事ができました。
 山口さんは大正12年(1923)生まれの78歳ですが、学校を出てすぐ、当時元触にあった本石組に入り、東は福岡県の大島付近から西は五島列島にいたる沿岸部のたくさんの港湾で、突堤を築く工事に従事されました。
 当時の突堤工事は、まず現場付近の海岸や海中から、工事に必要な石を採取する事から始まります。昭和初期には動力クレーンを備えた起重機船が導入されており、10㌧を越える石も使われるようになっていました。しかし、石にワイヤーを掛けるのは素潜りで行わねばならず(後には潜水器を用いるようになります)、掛け方にもドウクビリ、イチハチ、タルガケなどさまざまな方法があり、上手く掛けるためには熟練がいりました。引き上げた石はダンベ船に載せ曳船で引っ張って現場に運びます。
 現場では最初に、海中に石を沢山捨て込んで、突堤を築くための基礎を作ります。その際にはダルマカヤシと言って、ダンベ船の片側に小振りな石を梃子を使って少しずつ寄せていき、船を大きく傾けて落とし込むようにしました。
 基礎が出来るといよいよ石垣を築いていきます。石積みはハグチ棟梁という役が指揮を取り、最初に石垣の一段目である根石を据えてから、決まった角度で一段一段積んでいきます。積み方にも「ヤノハ築き」とか「こま揃え」等の方法がありましたが、石の間の隙間(目)が縦に連続する事や、四つの石が田の字型に配される「四つ目」、一つの石を八つの石で囲む形になる「八つ目」などは、壊れやすいので避けられました。突堤の内部には大小の形の悪い石を置いて「中詰め」とし、外側の石垣の石は、下にシリガイという小降りの石を置いて良い角度に揃えたり、後ろに「押さえ石」を置いてずれないようにしました。海側と陸側の石垣を順次積んでいき、「犬走り」と呼ばれる人の通り道や、テンバと呼ばれる上面を作って完成です。
 工事の間は、現場のある集落に家を借りて寝泊まりしましたが、稲刈りや田植えの時は、休みを貰って帰りました。昔は新入りの若者が三度の食事を作りました。御飯と味噌汁と漬物や魚など簡単なおかず程度でしたが、御飯だけは朝二合、昼三合、晩二合と激しい労働に見合ったものでした。
 今回、積石の技術を伝える人達の誇りに接する事が出来たのは、何よりの収穫でした。その一方で、今日の土木工事ではコンクリートが主流になっている実状もあります。しかし従来型の公共工事が頭打ちになっている現状で、環境保護の流れと結びつけて生月の積石技術をもっとPRし、モデル事業として取り組んだり、技術の継承ができないものかと、深く考えさせられた次第です。              (中園成生、2001年9月)




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