長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:益冨組に学ぶ事業の要諦

  • 2025/06/27 10:32

生月学講座:益冨組に学ぶ事業の要諦

 今年(2025年)は益冨家が捕鯨を始めて三百年にあたり、秋には益冨組をテーマにしたシンポジウムが予定されています。数年前から益冨家の膨大な史料群が福岡市総合図書館で公開され、研究も進んているので、新たな知見を楽しみにしています。益冨組の特徴として、江戸時代日本最大の規模を誇った事や、149年間に及ぶ長期間の操業を続けた事などがありますが、経営体としてしっかりしていたからこその偉業です。
 益冨組の経営が成功した要因として、壱岐漁場という国内随一の捕鯨漁場で操業できた事で多くの鯨を捕獲し、安定して利益が得られた事があります。しかし壱岐漁場で操業した組は他にもあり(深澤組や井元組)、一時的には三組を経営する規模になりますが、その状況は長く続いてはいません。益冨組の経営成功の要因についても今度のシンポで話題になるかも知れませんが、私は組織運営の側面に注目したいと思います。
 益冨家が残した『先祖書』には、享保10年(1725)に舘浦宮ノ下を拠点に突組として操業を始めた益冨組(当時は「畳屋組」でした)が操業に有利な御崎浦に拠点(納屋場)を移し、享保18/19年漁期(1733~34)から網組編成に移行して網掛突取法を導入した経緯が記されています。しかし網組に移行した当初は捕獲数は伸びない状況に陥っており、その時、初代又左衛門が取った行動が次のように記されています。
 「右者年来漁事之都合不宜候間、格別ニ心を用ひ、壱州・生月ニ而鯨取候時之手筈、意味合を衆評相極、壱州ニ年々遣候羽指頭と、御崎ニ年々遣候羽指頭之是迄之所存所為抔も承合せ候処、存付候儀有之候間、壱州ニ遣来候羽指頭と御崎ニ遣シ来リ候羽差頭ヲ入替らせ候処、初而都合宜敷相成候而大漁仕候、是より漁事相続申候」
 ここで注目するのは「壱州・生月ニ而鯨取候時之手筈、意味合を衆評相極」という箇所です。当時益冨(畳屋)家は壱岐勝本浦の鯨組の共同経営者にもなっていましたが、壱岐(勝本)と生月の網掛突取捕鯨の段取りや利点・欠点を鯨組の皆で話し合ったというのです。つまり組主が方法を思い付いて従業員にやらせるというトップダウン(上意下達)でなく、それぞれの専門で仕事に関わる多くの者で話し合って問題点を見極め、解決法を見いだすボトムアップで解決したのです。この時の問題点は、突組から網組に編成替えを行い新たに操業を始めた生月島の従業員が網掛突取法に不慣れだという現実で、従業員に網掛突取法を習熟させるという課題を達成するためにはどうすればいいかを皆で考えた結果、沖の操業を取り仕切る羽指(ハザシ)頭を、生月島の漁場と、既に網掛突取法の操業の長い実績がある壱岐の漁場で交換するという解決法を導き出したのです。これによって生月島での操業は上手くいくようになり、大漁となっています。
 このエピソードは、現場従業員のスキルが事業で何よりも重要である事を教えてくれますが、トップダウン方式では、リーダーが現場にコミットしない場合、非現実・理想論的プランで失敗するリスクが存在します。対してリーダーが「衆評相極」を認め(そのためにはリーダーは見栄を捨てる必要がありますが)現場と交わって問題点や課題を共有し、協議の結果を尊重すれば、効果的かつ現実的なプランを実行できる可能性が高まります。このように現場からのボトムアップを重視する姿勢が、益冨組の各部署でも継承され効率化が図られた事で、組織の拡大や長期経営が可能になった可能性があるのです。
(『広報いきつき』2025年7月号掲載 中園成生)




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