長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:平戸・生月戦跡研究会の業績

  • 2025/07/22 17:54

生月学講座:平戸・生月戦跡研究会の業績

 戦後80年にあたる今年は戦争への関心が高まっていて、関連する報道や事業も多く行われています。島の館では令和4年以降、夏の企画展で戦争をテーマにした企画展に取り組んでおり、今夏も戦後80年にちなんで、田中まきこさんと協力者がこれまで調査した平戸市内に残る戦争遺構を紹介する企画展を構想していたのですが、諸般の事情で別の企画展を行う事となったため、この場を借りて調査成果の概要を紹介したいと思います。
 田中さん達は令和3年頃から戦争遺構の調査を始め、令和6年5月には平戸・生月戦跡研究会を立ち上げていますが、佐世保市役所の川内野篤さんや松浦市在住の永益宗孝さんなど地元で先行して調査をされてきた方々から情報や指導をいただきながら現地調査を行うとともに、戦争関係の書籍やアジア歴史資料センターの資料などから各施設の情報を集めたり、古老の方々に聞き取りを行って施設の位置や戦争中の状況を確認していきました。さらに空襲・戦跡九州ネットワークなどの場で研究者との情報交換を行い、また各地で調査成果の発表を行ってきました。こうした取り組みによって令和6年度までに平戸市内に存在する戦争遺構の殆どの所在を確認しましたが、そのなかにはこれまで地元以外で存在が知られていなかったり、何の遺構か分かっていなかったものが多くあります。
 生月島では、当初から北部の御崎地区にある壱岐要塞に関係する生月砲台に関係する遺構を調査し、観測所の他、九六式加農砲2門を配置した平地と、昭和20年に同砲を収納した穹窖(2カ所)を確認し、北端のたかり地区周辺でも海軍の14㌢砲を配置した穹窖や電探(レーダー)の遺構を確認し、大バエ灯台基部の建造物が探照灯の格納庫である事を明らかにしています。また御崎浦北方(北ノ辻・滝脇)の丘陵で合計6カ所の坑道を確認、うち2本は丘陵を貫通している事を確認し、これらの坑道が従来言われてきた防空壕ではなく、陸戦用に設けた坑道陣地の可能性がある事を明らかにしています。
 南部西岸の長瀬鼻では、海軍が潜水艦を探知するために設けた長瀬崎防備衛所の遺構を調査し、兵舎や水槽、聴音機を配置したと思われる地下壕を確認しています。
 平戸島では北部の白岳と中部の中津良で、敵機を音で探知する聴音機を配置した特設見張所の遺構を調査しています(これらについては川内野氏が先行して調査されていました)。また南部の津吉と宮ノ浦で敵機を照射する探照灯を配置した照射所の位置を地元の方からの情報で特定し初めて調査を行い、建物遺構や探照灯の部品を発見しています。
 平戸島南端の高島では4基の砲座や2棟の弾薬庫、兵舎などの海軍砲台の遺構を調査し、通称「四階建て」と呼ばれる鉄筋コンクリートの高層建築物が砲台に関係する施設である事を明らかにしています。また同島北西部では海軍の防備衛所の遺構を確認しています。
 平戸島北部の古江・薄香湾口部では、大戦末期に特攻艇「震洋」を配置するために設けられた施設の遺構を調査し、魚雷を格納した坑道を確認しています。
 的山大島では、永益氏より情報をいただき、戸田浦地区に設けた30㌢砲2門を収めた砲塔砲台(大島砲台)に伴う弾薬庫、波止場、地下発電所の他、戸田と城ノ辻に設けた2カ所の観測所、長崎鼻付近に設けた探照灯格納庫と地下発電所を調査しています。
 田中まきこさん達の努力で僅か4年の間に明らかとなった平戸市域の戦争遺構のあり方から、戦争が、私達が暮らす地域を巻き込んで行われていた事実を知る事ができます。
(2025年8月 中園成生)




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