長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:浜崎勇蔵さんが残した捕鯨図

  • 2025/12/01 08:26

生月学講座:浜崎勇蔵さんが残した捕鯨図

 島の館は令和6年(2024)11月に、浜崎浩司さんから一枚の捕鯨図の寄贈を受けました。絵には明治28年に平戸瀬戸で行われた銃殺捕鯨の光景が、画用紙に水彩絵の具で描かれていました。制作したのはこの捕鯨に実際に参加されていた浜崎勇蔵さんで、勇蔵さんが昭和30年(1955)2月、数えの84歳の時に描いたものである事が絵の記述から確認できます。浩司さんは勇蔵さんの曾孫にあたられます。寄贈の後、浩司さんのお父様の浩さんにもわざわざ御来館いただき、勇蔵さんについてのお話しを伺う事ができました。またその時に、壱部浦にある浜崎本家に伝わる勇蔵さん作の別の捕鯨図二点もお持ちいただき、詳しく拝見させていただきました。
 浜崎勇蔵さんは明治5年(1872)9月に壱部浦に生まれ、青壮年期には平戸瀬戸で行われていた銃殺捕鯨にハザシ(羽指)として参加していた事が、氏が描いた捕鯨図や話を特集した新聞の記事から確認できます。浜崎氏は昭和30年(1955)12月に亡くなられる前、自身が参加された捕鯨の光景などを描いた絵を複数制作し、生月島内の神社に絵馬として奉納した他、家族や知人に贈られています。現在私が確認しているのは、島の館にある5点と浜崎本家所有の2点ですが、浩さんのお話では他にも数点あるようです。
 7点のうち5点は平戸瀬戸での銃殺捕鯨の光景を描いたもので、うち4点は明治34年旧暦2月7日(新暦同年3月26日)に長須鯨3頭を捕獲した場面、1点(今回御寄贈いただいた図)は明治28年旧暦12月9日(新暦明治29年1月23日)に座頭鯨2頭を捕獲した場面を描いたものです。これらの絵からは、瀬戸で鯨を追跡する植松組の、縦帆とオールで進むボートと櫓漕ぎの和船、舳先で捕鯨銃を構える銃手、鯨に取り付いて手形切りを行うハザシなど、平戸瀬戸の銃殺捕鯨の特徴的な要素が確認できます。
 残る2点のうち1点には、昭和15年(1940)2月に大村湾に入り込んだ抹香鯨を、生月島から出張した動力船に乗った浜崎勇蔵さん達が銃殺捕鯨で捕獲する様子が描かれています。内海の大村湾に鯨が入り込んだだけでも珍しいですが、鯨種が九州北西岸では稀な抹香鯨というかなりレアなケースです。本図には海岸に上がった鯨の写真や、捕鯨の様子を報じた新聞の切り抜きなども貼ってあり、記事によるとその時には、捕鯨銃による火矢の射撃とともに、数えで69歳の勇蔵さんが鼻切りを行い、記事も「勇敢なおぢいさんもゐたものですね」という言葉で括られています。これら6点の図は、銃殺捕鯨の実態をビジュアル的に窺い知ることができる希少な資料です。
 最後の1点には、2枚の画用紙を貼り合わせた大きな画面に、網に絡んだ鯨を突き取る網掛突取法の様子が描かれています。この絵には他の絵にあるような書き込みが無く、いつどこの捕鯨の様子を描いたものかは分かりませんが、過去に描かれた捕鯨図の中に同じ構図の図が存在しない事から、勇蔵さんのオリジナルの図であると考えられます。
 浜崎勇蔵さんが捕鯨に参加したのは明治19年(1986)、数えの15歳の時だと思われます。当時はまだ生月島で網掛突取捕鯨が続いていて(明治30年頃まで)、同時期に長州川尻浦で行われていた網掛突取捕鯨にも生月島出身者が雇用されている事から、浜崎勇蔵さんは、実際に網掛突取捕鯨に関与したか少なくとも操業を見てこの図を描いた可能性があります。
(2025年12月、中園成生)




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