長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座:キリシタンの棺

生月学講座:キリシタンの棺

 16~17世紀にヨーロッパ伝来のカトリックを日本人が受容して成立したキリシタン信仰では、信者の死亡に際してキリシタンの祭式で葬儀がなされ、遺体は埋葬されました。遺体の姿勢は身体を伸ばして横たえた形(伸展位)が取られたので、キリシタン信者の墓を見つける際には、遺骨の姿勢や、遺体を埋葬するために掘った穴(墓溝)の形が判断材料とされてきました。遺体は木製の棺に納めた例が多く、板で長方形の箱を作り、上に平板の蓋を載せた棺が用いられた他、豊後府内第10次Ⅱ区北調査区4号墓では櫃と呼ばれる、日常生活で用いた収納箱を転用した棺が見つかっています。この櫃の棺には側面板に補強用の縦棒が付いていた他、長側板から錠前のための金具が確認されています。
 禁教時代には、伸展葬の有無が信者の見極めに使われ、埋葬時の僧侶の立ち会いが行われた事もあって、平戸藩(生月島、平戸島西岸)や大村藩(外海地方)・五島藩領のかくれキリシタンは、木箱や桶に仏式の座位(膝を曲げて座らせた姿勢)で遺体を納めています。天草下島今富のかくれキリシタンの遺体も座位でしたが、僧侶や会席者が墓から引き上げた後で、墓堀り達が木箱を倒して遺体を横向きに寝かせた形に変えていました。これは、寝かせた状態で埋葬する事がキリシタンの作法である事を意識したか、仏式の埋葬作法を壊す事を意識した行為だったと思われます。さらに外海地方の深堀領のかくれキリシタンは、例外的に長方形の寝棺(ノリフネ)を用いて遺体を埋葬していました。ノリフネには釘を用いず縄で括って板を接合するのが作法でしたが、釘を用いないのはキリストが十字架に釘で打ち付けられたからだという伝承がありました。佐賀藩の支領である深堀領では、禁教がそれ程厳しくなく、伸展葬の習俗が残った可能性があります。
 近年調査が行われている諫早市の千々石玄蕃充夫妻の墓で、千々石玄蕃充の妻の墓と推定された1号墓の棺は、縦100横50高50㌢と長辺の割合が短めで前後にコの字の金具を付けている事から長持を転用したもので、遺体は手足を曲げ横向きで寝かせた姿勢だと推測されています。千々石玄蕃充(ミゲル)の墓と推定された2号墓は、縦140横40高30㌢の長方形の棺を用いていますが、遺骨の状態から遺体はやはり手足を曲げて横向きに寝かされていたと推測されています(『千々石ミゲル夫妻伊木力墓所』)。2号墓の木棺が縦長の形状である点や、横向きに寝かせた遺体の姿が天草今富のかくれ信者の埋葬形態と通じるところがある事などから、夫妻はキリシタンの作法で埋葬された可能性があると思います。
 千々石玄蕃充夫妻墓については、2号墓の棺の頭側空間に、棚に納めた木製十字架があった可能性があるとの報告があった事を、長崎新聞の記事(令和8年2月21日付)で知りました。朽ちて残らない木製品に代わって根拠とされたのは釘の配置と本数(110本)ですが、試しに島の館で収蔵しているかくれ信者が所蔵していた木箱(縦86横50高43㌢)に使われている釘の数を数えたところ、やはり110本程度はある事が確認できました。数えるのに用いた箱の蓋は本体より少し大きい袋蓋で、本体の上端より少し下には蓋を受けるための横木が一周していますが、かりにこのような箱を棺に用いたとすれば、上辺よりやや下から釘が出た理由まで説明が付きます。また豊後府内8号墓の棺のように、内側の角に補強用の角材を付けた可能性も考慮する必要があるでしょう。
(2026年3月 中園成生)




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