長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.020「宴席文化」

 四月は新社会人が職場に入りフレッシュな雰囲気がありますが、新人さん達の悩みの一つに、それまであまり経験がない、酒席に連なる機会が増える事があります。
田渕助役さんの話によると、昔は、上司のところに行って上司の杯に酒を注いだ後、その杯を自分が受けて注いで貰って飲む「お流れ頂戴」型が主流だったそうです。しかし現在では、部下が上司のところに行き、自分の杯を上司に差し出しお酒を注ぎ、返杯を受ける「差し上げ」型が多いようですが、例えば事業の打ち上げの際などは、上司が回って部下に杯を遣って酒を注ぎ、部下からの返杯を受ける「ねぎらい」型も多いようです。
 杯事が特に厳格なのは、元触のかくれキリシタン行事です。例えば小場垣内ではオラショを唱えた後、最初に酒と肴(セーシ)を神様に届ける祈りを行ってから、最初にその家の主人である親父役が、隠居親父役、隠居御爺役、御爺役、役中と、席次の順に杯を遣ります。対象者は飲み干してから杯を親父役に戻し酒を注ぐのですが、遣る時戻す時にそれぞれ礼を述べます。その後席次の高い順に同様の杯の遣り取りをしていきますが、一通り終えると隠居親父役あたりから「ゆっくりしまっしょうかい」と声がかかり、足も崩しての無礼講となります。しかし田渕助役さんによると、これも元は、例えば親父役に対して、隠居親父役以下の者がそれぞれ杯と肴を上げるという逆の形だったようで、親父役の傍らには肴を入れる器まで用意してあったそうです。元々、御前様を奉じる親父役は神に近い存在で、それに対して酒肴を奉るような意識があったのかと推測しますが、現在は、親父役が参加者をねぎらう意識が強いのかも知れません。なお元触の正月の「役かけ」行事の際は、次期の親父役に対し「お茶」と称して酒が湯呑み一杯出されますが、それを、あたかもお茶を飲むかのように平然と飲み干さなければなりません。また昔は、帰る者に対して、カドグチで酒を飲ませる「追い酒盛」も、よく行われていました。
 酒の座に欠かせないのは音曲ですが、特に生月ではヨイヤサが代表的です。壱部浦の勇魚捕唄が有名ですが、師匠である尾崎常男さんによると、叩く際の作法として、叩き手や唄い手の傍らに本膳を据え、出席者全員の杯に酒を注いでから、太鼓を締める(叩く)のが本式だそうです。また壱部浦の船祝いでは、出席者はヨイヤサが終わるまでは威儀を正しくしていなければならず、終わると格好を崩す事が許されたそうです。いうなればヨイヤサは、公式な宴会と無礼講とを分かつ境をなしている訳ですが、若者達は正座を嫌い、ヨイヤサが終わってから会場に入っていました。無礼講の席では三味線で唄う事がよく行われましたが、最近はひき手が居なくなったため、カラオケが主流となっています。
 山田のかくれキリシタン行事の宴席では、御前様の唄、サンジョワン様の唄、ダンジク様の唄が唄われる事がありますが、唄う前に、唄い出しをする者から家の主人に杯が回され、唄の最中は、酒を満たした状態で主人の前に置かれます。そして唄が終わると主人が飲み干して返します。その後のヨイヤサの際も同様の作法で行われ、終わると足を崩しての無礼講となります。
遊びのように思われがちな酒席ですが、ここにも一つの文化を感じます。

(2001年5月)

 




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