長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.026「羽矢銛・萬銛・剣」

 島の館には様々な捕鯨資料が展示されていますが、その中でも重要なものとして、網組の頃に使われていた捕獲道具があります。捕獲の状況については、捕鯨コーナーの中央にある大型のジオラマ(模型)を見てある程度想像はできます。しかし実際に使われた道具を見たり触れたりする事で、島のご先祖様達がどのように鯨に立ち向かったか少しは分かるのではないか。そう考えて、これまで適当に木柄を付けて展示していた羽矢銛、萬銛、剣の三種類を、資料に則った形で柄や綱を付けて復元してみることにしました。
 銛は、最先端に根元側に向かって突き出た「返り」と言われる部分があり、そのため一度突き刺すと抜けなくなっています。軽快な羽矢銛は補助的に使われる銛で、二つの用途があります。一つは、鯨が網の手前で立ち止まった時に、この銛を突いて鯨を驚かせ、網に突っ込ませるようにする事です。もう一つは、子連れの鯨が来た時、最初に子鯨をこの銛で突き、親鯨をおびき寄せて捕獲したのです。一方、重い萬銛は、本来的な銛の目的である、鯨を突いて綱で船と繋げ、船を曳かせて鯨を疲弊させる用途に用います。剣は、銛と違って先端が尖っており、鯨が疲弊して動きが止まってきた頃に突いて、深手を負わせて鯨を仕留めるのに用います。
 復元の参考資料にしたのは、益冨家が天保三年(一八三二)に刊行した捕鯨図説『勇魚取絵詞』です。これには、種々の道具についても図入りで、寸法や素材も事細かに記してあります。まずは小型の羽矢銛ですが、銛先(先端の鉄の部分)が二尺一寸(約六三センチ)、柄は樫製で長さ一丈二尺(約三メートル六〇センチ)、先の径が一寸五分(四.五センチ)尻は一寸角(三センチ)です。次に萬銛ですが、銛先は長さ三尺八寸(一メートル一四センチ)重さ一貫五百目(約五.六キロ)、柄には長さ八尺(二メートル四〇センチ)の椎の丸木を用います。最後に剣ですが、先(鉄の部分)は長さ三尺(九〇センチ)重さ一貫九百目(約七.一キロ)、柄は樫製で長さ一丈二尺(約三メートル六〇センチ)です。
 実際の作業は舘浦の大工さん達にお願いしたのですが、最も大変だったのは萬銛の柄の材料を探す事でした。『勇魚取絵詞』には椎の丸木と書かれていたので、あちこちの山に入って椎の木を探したのですが、厳密な種類の椎の木は結構幹が曲がっていて、結局二メートル以上真っ直ぐな幹を探すことは出来ませんでした。それで、植物図鑑にマテバシイと記されている事を根拠にマテの木を探すと、今度は長さも太さも適当な幹を何本も入手する事が出来ました。このことから、昔も実はマテの木を使っていたのではないかと推測するようになりました。萬銛の銛先は生鉄で出来ており、鯨に刺さった後、船を曳く力がかかるとわざと曲がって抜けにくくなるようになっています。そのため、柄が抜け落ちたり折れたりしてもいいように、安価な雑木であるマテの丸太を使ったのです。
 一方、羽矢銛や剣の柄の方は、樫の木で丁寧に作られています。またこれらの綱は先端に結わえた後、柄尻で再び結んでいますが、結び目が抜け落ちないようにわざわざ柄尻を広げています。つまり刺した後、柄尻の方から引っ張って抜けやすくしている訳で、このことからも羽矢銛や剣の柄は、恒常的な利用を前提に作られている事が分ります。

 




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