長崎県平戸市生月町博物館「島の館」

生月学講座 No.029「牛神様」

 山田集落の高所にある保食神社は、保食大神を祭神として祀っていますが、通称「牛神様」と呼ばれ、御神体は石だそうです。『生月村郷土誌』には次のように記されています。「昔、三吉という男が鋤の神という場所(現在、3基の風車がある丘)に草刈りに行き、刈った草を牛に背負わせた時、片荷にならないよう鞍の片側にその場にあった石を乗せて家に帰った。その石を牛小屋の前に捨て置いたところ、翌朝には石が主屋の戸口の前に移動していた。邪魔に思って庭の隅に置き直しても、翌朝には再び戸口の前に戻る。これが数回に及び、不思議に思った家人が神主に神託を伺ったところ、その石は牛の病気やけがを治し、牛を保護する霊があるとの事だった。それを知った村人達はその石を「牛神様」としてお祀りするようになったが、その後、石は年々大きくなり、さらに子石(子神)も生まれるに至った」。また明治の初め頃、度島の人数名が自分の所の祭神にする目的でこの石を盗み、夜中、船に乗せて漕ぎだした所、夜明けになっても船は殆ど進んでいないのに驚き、石を元の所に返したという話もあります。
 保食神社(牛神様)の大祭は、霜月(11月)の最初の丑の日で、比売神社の神主さんの神事があります。山田で牛を飼っている家は、地区毎に数軒で組を作っていて、その日は組毎にお参りに来ます。各自で供物を重箱に入れ、ビール瓶に酒を入れて参拝するのが昔からの習わしで、重箱に入れたオゴク(御飯)や膾を神前に供えた後、先の人が供えてお祓いが済んだ供物を詰めて帰り、牛に食わせます。また刺身に藁縄の輪を通したものも供えました。参拝の際にいただいたお札はウシマヤ(牛小屋)などに貼り、参拝後は、組毎に決めた宿に集まって宴会をします。なお昔は、牛にもこの日休みを取らせたそうです。また年を越した正月11日には「牛の正月」が行われ、神事や、供物を供えて持ち帰ったり、お札を貼るなどは同じですが、個人で参拝する形で、昔は牛を曳いて参拝する人もあったそうです。また大祭や牛の正月には、現在も、他集落から畜産農家の参拝がありますが、昔は的山大島や度島、平戸の南部あたりからも多くの参拝者が来ていたそうで、山田の人が、よそから参拝に来た知人を接待する風習もあったそうです。
 牛神様については、キリシタンに関する別の伝説もあります。禁教時代、ある潜伏キリシタンが、御神体を屋敷内の竹薮に埋め、その上に大石を据え、朝夕に人目を忍びつつオラショを唱えていたが、それに倣い、潜伏キリシタンであった他の村人達も信仰するようになったというものです。また牛神様は、生月と下方(平戸島中南部)の潜伏キリシタンの秘密の集会所になっていたという伝説もあります。伝説の確認はにわかには出来ませんが、確かに山田集落のかくれキリシタン信者が多く氏子になっていて、また日草のかくれキリシタンの垣内(組)の中には、年末の「終い寄り」行事と元旦の「初寄り」行事の時に、男性が御前様の前でオラショを唱える間、婦人達が牛神様を詣る習慣を持つ所もあります。また、伝説で三吉が石を拾ったとされる鋤の神も、昔、かくれキリシタン信者が雨乞い行事をしていた聖地であることも、やはり何らかの関連を感じさせます。

 




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