生月島の殉職聖地
①茶屋のジサンバサン(壱部在)
茶屋のジサンバサンは、茶売りに化けた役人に家の中の御神体を見つけられて処刑された。白山神社の上方の谷地に、茶屋のジサンバサンの屋敷跡といわれる場所があり、大きなバクチノキが生えている。また連行される途中、御神体を挟んで隠したと言う岩もあり、この御神体が今日の種子津元の御前様だという。
②お屋敷様(壱部浦)
島の北部を支配したキリシタン領主・一部氏の屋敷跡と言われる場所で、壱部浦の家並みのすぐ上にある。昔は鬱蒼と茂った森で、中に小さな祠があったというが、県道工事による開削や公園造成によって森はなくなり、コンクリートの御堂が建てられている。
③アントー様(堺目)
アントニオ庄平という有徳の殉教者を葬ったところといわれ、生月小学校の脇の森の中に、小さな自然石の祠をたて祀っている。
④焼山(堺目)
山は布教時代に教会堂が建っていた場所で、セミナリオも一時置かれたという説もある。焼山という地名の由来は、『田舎廻』によると、切り捨てたキリシタンを穴に放り込んで焼いたからだというが、教会を焼き討ちしたからだとも言う。現在は木々に覆われた丘になっており、中に堺目の信徒が行事をおこなう御堂が建っている。
⑤幸四郎様(堺目)
地元の伝承では、こうしろう幸四郎様はパブロー様とも言われ、元は弾圧のために生月に派遣されてきた役人であったが、急に失明し、キリシタンの信徒の看護により回復したため信徒となったが、最後には捕らえられ殉教したという、聖書の聖パウロの説話に類似した伝説が残っている。幸四郎山と呼ばれる場所が聖地で、昭和の初めに枯れるまでは松の大木が鬱蒼と茂っていた。履物を履いて入ったり、たきぎ薪などを持ち帰ってはならないとされている。
⑥千人塚(舘浦)
現在は住居が密集しているが、もとは舘浦のはずれで千人松といわれる大松が生えていた。弾圧で処刑された多くの信徒を葬った場所といわれ、人骨も出たという。
⑦八体(龍王)様(舘浦)
舘浦の旧海岸にある石祠で、妊婦を含む七人(胎児を入れて八人)の信徒がこの場所で処刑されたという。お産の神様として婦人の参詣者が多く、舘浦には講もある。
⑧ハッタイ様(山田)
昔ハツというキリシタンの娘が田植え時に神の川を渡ろうとして、増水した川に呑まれて死に、死体が河口に流れ着いた。流れ着いた場所に石祠を設けて祀る。
⑨ダンジク様(山田)
弥市兵衛と妻のマリア、息子のジュアンが、島の西南海岸にあるダンジクという竹の茂みの中に隠れた。しかし子供が海岸に出て遊ぶ姿を船で捜しに来た役人に見つかり、全員が処刑された。1月16日が命日であるが、船による参拝は禁じられ役人が船一と付けた鯨瀬という所に船をつけると海があれるという。
2019/12/17









