生月学講座:島の館の情報戦略(検証編)
情報の〈収集〉手段には、実物資料や古文書等を入手する他に、聞き取りや観察などの調査による場合がありますが、こうして収集した情報の真偽の確認や価値付けを行う〈検証〉のために行われるのが研究という作業です。研究には、研究する対象についての専門的な知識が必要ですが、地域博物館では地域に存在する要素が多岐に亘っていることから、広い分野の知識が必要となります。それには個々の専門分野について研究された専門家の論考を足がかりにして理解を深めるのが確実なやり方ですが、その場合も学芸員には、論考の内容を読み取れる最低限の知識や、地域に存在する論考に関係する事例の情報を集約する努力が必要です。
例えば生月島を本拠とした鯨組・益冨組の歴史的価値を理解するためには、益冨組や益冨家の捕鯨活動について研究された過去の論考に目を通す必要があります。しかし同時に、日本捕鯨の歴史の中での古式捕鯨業の位置付け、江戸時代の日本の経済活動の中での古式捕鯨業の位置付け、あるいは平戸藩域の産業経済活動の中での古式捕鯨業の位置付けについての理解とともに、生月島内や西海各地に残る益冨組関係の史跡や資史料を把握していく必要があります。
しかし既存の見解に問題がある場合もあります。例えば益冨組の捕鯨に関係する捕鯨史の研究で過去用いられていた時期区分では、福本和夫氏が『日本捕鯨史話』(1960年)で紹介した五段階区分が基本となってきました。この区分は時期毎の主要な漁法を規定し、それを発展段階として捉えたものでしたが、漁法の規定や、単線的な発展段階として捉える捉え方には問題がありました。それが1995年当時、島の館の展示を構成する際にも問題となり、結果的に新たに設定した漁法分類と時期区分を『くじら取りの系譜』(2001年)で発表し、それに拠る形で展示内容を変更した経緯がありました。かくれキリシタンの分野でも従来は、純粋なキリシタン信仰が禁教時代、宣教師との接点が無くなった信者が勝手に変容させたものだとする見解(禁教期変容論)が主流でした。しかし調査で確認したかくれ信仰の内容と、宣教師報告に記されたキリシタン信仰を比較する中で、禁教時代以降に多信仰並存の信仰構造のもと、キリシタンの一般信者サイドの信仰内容を概ねそのまま継承したものがかくれ信仰である事が明らかとなり、それを『かくれキリシタンとは何か』(2015年)や『かくれキリシタンの起源』(2018年)で示した上で、展示内容の変更を行いました。
しかし遠洋まき網、海の関係の積石工、戦争遺稿、地質のように、今も研究が緒に付いたばかりで先行論考も少ない分野もあります。この場合には現状で集めた情報から仮のモデルを組み立てて提示しておいて、研究の進捗に従って追加・修正していくアプローチを採っており、例えば「生月島巾着網発達概史」(1999年)、「生月島の積石工」(2010年)、「戦争の記憶」(2021年)などは仮のモデルとして提示した論考になります。しかし地質については情報が殆ど無いため、現在も暗中模索の状態です。
このように地域博物館では、地域に存在する多岐にわたる分野を取り扱う必要から、学芸員も自らの専門分野に固執する事無く(固執は自らの首を絞めるに等しい)、様々な分野の知見に対応できる融通性が必要なのです。(中園成生)
2025/03/03